妬みは文化を停滞させる


人間の感情の中で最も醜いものの一つは、妬みである。

妬みは、傲慢から生まれる。

サタンは、神を妬んだ。「自分だけえらそうにしているのはおかしい!」と考えた。

自分も神になろうとし、神の部下であった人間を横取りして、自分の手下にした。

この手下を使って、世界を神の手からもぎとって、自分のものにしようとしている。

妬みとは「本来自分に属していないものをうらやみ、欲しがる心」である。

人間が堕落してから、人間は全員妬む者になった。

人間は、優れた人の足をひっぱり、突出した人の髪の毛をつかんで引き倒す。

この国では、「国民のため」とか「悪を許さない」という名目で、多くの優れた研究や人々が葬り去られてきた。

レーダーの原理は日本人の発明であったが、人々がそれを認めなかったために埋もれてしまった。

アメリカがその技術を発掘し、発明者を招いてレーダーを作り上げた。この技術が太平洋戦争の勝敗を分ける大きな威力となった。

日本人は、新しい者や新しいことをやろうとする人に対して厳しい。

未開の社会ほど妬みのはびこる社会である。新しい技術が発見されても、それをつぶす。だから、いつまでたっても原始人のような生活をするはめになるのである。

文化が悪魔に支配されればされるほど、悪魔の本質である「妬み」にとらわれ、文明の発達のスピードが鈍る。

聖書は、「妬み」を悪として明確に定義しているので、聖書的文化において、妬みは制限され、新しい技術、新しい発見などが評価される。

ガリレオを裁判したのは、キリスト教ではなく、スコラ学者たちである。

スコラ学は、ギリシアのアリストテレスにならうドグマ主義の学問であり、経験科学ではない。

あたかもキリスト教が科学を迫害したかのように言う人々は、科学が圧倒的にプロテスタントキリスト教文化圏で発展したことをどう説明するのだろうか?

イギリス、アメリカ、ドイツ、スイス、…。科学をプロテスタンティズムから切り離す試みは、歴史の歪曲である。プロテスタンティズムの法治主義(セオノミズム)こそが妬みを非合法化し、科学を妬みや揚げ足取りから解放したのである。

 

 

2006年1月31日

 

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