本物のクリスチャンは権力や能力に頼らない2
私の知人が、あるクリスチャンの活動をやろうとして有名な企業家を訪れた。
金をあてにしたのだ。
しかし、金持ちに頼っても無駄なことが分かったという。
なぜならば、必ず「ひも付き」だから。
何かを期待される。見返りを。
結局、金持ちに頼ると、聖霊の働きはできなくなる。
金持ちが悪いというのではない。
金持ちに人間的に頼ることが間違いだと言っているのだ。
不思議なことだが、人間に頼ると、その相手は変わる。変になる。
妙に不遜になる。
こちらを利用しようとする。もしくは自分の派閥に入れようとしたり、自分の子分にしようとする。そして結局、一緒にはできないとわかる。
どうしてだろうか。
信仰がないところに、サタンがつけ込むからだ。
人間的な手段を使うということは信仰がないからだ。
神に求めるのではなく、人間に求めるから、そこに破れ目ができる。
その破れ目からサタンが侵入する。
相手もおかしくなるし、こちらもおかしくなる。
だからエリヤを助けたのは、子持ちの未亡人だった。
瓶の中にわずかな粉しか残っていなかった。これを食べたらもう死のうと思っていたそんな極貧の女のところにエリヤは使わされ、神は「彼女に養ってもらいなさい」と言われた。
驚くべきことに、その瓶の中の粉は尽きなかった。そして、彼は助かった。
本当の預言者は、神に頼るということ。神に頼ることなしには、本物の預言者にはなれないということ。
これがこの話の教訓だ。
何かを始めようとするときに、「○○さんは、裕福な事業家だ。彼に応援してもらおう」などと考えると必ず失敗する。
神の方法はまったく逆だ。
神の働きは、そういう人間的な方法では進まない。
無理に金持ちに助けてもらおうとして何人もの働き人が墓穴を掘ってきた。
助けがなかったら、それはまだはじめる時期ではないということだ。
だから、神の時が来るまで待て。
霊的な波が来るまで待て。無理をするな。
本当の働きは、向こうからやってくる。
そのときに動け。
霊的な波に乗ればすべてが気持ちよく無理なく進むだろう。
背伸びをする必要はないだろう。
2009年12月21日
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