迫害を喜ぶべきだ
私がこの働きを始めてから気づき、驚いたことは、我々クリスチャンはイエスと同じことをさせられるということである。
副牧師をしていた教会で、主任牧師から「もし君の考え(私の考えは就職する前にすでに卒論で彼に提示済みであり、万事了解済みで採用されたので、それを持つこと自体違法ではない)を持ち続けるなら、教会を去りなさい」と暗に示されたので、離職したいと申し出ると、突然「こんどの金曜日、受難礼拝後に長老会に出てください」と言われた。
長老会に出ると、長老が誰もいなかった。
牧師だけが5人いた。
長老には後で電話をかけて判断を仰ぐという。
つまり、私を免職にしたかったのだ。
しかし、長老の中に良心的な人々がいて、「何も悪いことをしていない人を免職にするのはおかしい」と言って全員一致ではなかったので免職にはならなかった。
私はびっくりしてしまった。一般社会でもあまり耳にしないような不正である。
明らかに謀略であり、無実の人を罪に貶めることだ。
後から考えると、あの日は、イエスが裁判につけられたのと同じイースター前の金曜日の夜だった。そして、私に離職許可が下りたのが、日曜日、復活祭の日。
この同じ謀略が同じ時期に、次の教会でも起こった。
どうしてこういう不正が神の働き人として評判の高い人々によって行われたのだろうか。
それは、サタンである。一時的であれ、信仰によらない行動をとるときに、サタンは、我々をも利用して、神の国の拡大を妨害しようとする。
私たちは、イエスと同じ道をたどる。
神の国のために真剣に働こうとすれば、同じような不正によって偽りの裁きを下される。
敬虔に生きることを望めば、迫害は避けられない。
迫害を避けるならば、一生に間で神の国のために何もできず、そのため、永遠の報いも受けられない。
「ありもしないことで悪口雑言を言われるときに、喜び踊れ」とイエスは言われた。
あなたが中傷やウソによって職場や学校や家庭などで迫害されるならば、喜ぶべきだ。
その中傷やウソは、サタンから来るからだ。
そして、サタンのこの策謀は、必ず失敗する。なぜならば、イエスがすでにそれを体験され、勝利されたから。
イエスは、十字架で、サタンの国の土台を破壊された。世界の支配権はキリストに移った。
今、我々を迫害する人々は、国を追われ、支配権を失ったが、山々に潜伏していまだに抵抗している敵軍の残党ゲリラである。
彼らがどんなに攻撃しても、世界から追い出されるという運命は変わらない。無駄な努力だ。
サタンと悪霊どもは、必ず駆逐される。
我々にはイエスの権威があるから、我々が攻撃すれば、必ず彼らの支配は終了する。
我々は、その過程でマイナーな傷を受けるだろうが、その代わり、我々は相手の頭をつぶす。
「彼(キリスト)は、おまえ(サタン)の頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」(創世記3・15)
2009年1月8日
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