シンクレティズムを避けよう
神社との関係ではっきりしなければならないのは、シンクレティズムの恐れである。
つまり、信仰と相容れない要素が入る恐れだ。
現在の神社には、異教の要素が数多く存在する。おみくじ、占い、厄年などの迷信と、呪術である。
こういうものがわれわれの中に入らないようにするには、「様子を見る」ことしかないだろう。
まだ、神社と同じことをするわけにはいかない。
たとえルーツが同じであっても、ものみの塔といっしょに礼拝できないのと同じだ。
ルーツというキリスト教が同じでも、かたやキリストを主であり神として礼拝し、かたや神ではなく人間であるという。
互いにまったく異なるものである。
ルーツがキリストという共通するものであっても、今の神社の宗教をそのままわれわれに取り込むことはできない。
われわれは、神社がどのように変わるかを見よう。本当にキリストを主として礼拝するようになるかを。
もし彼らが先祖の信仰に帰り、神社においてキリストが礼拝され、聖霊が臨在し、バプテスマが行われ、聖餐が行われ、呪術やまじない、占いをやめるようになるまでは、われわれは自分のアイデンティティを神道信者として見ないようにしよう。
シンクレティズムという形で巧妙にサタンの進入を許すことがないようにしよう。
2009年10月17日
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