犯罪の重さに応じた刑罰を与えよ


動物による農作物などへの被害が増えている。

気候の変化など様々な原因があるだろうが、重要な原因の一つは「動物保護」にある。

観光地や農地でのサルの傍若無人な振る舞い(盗難)は、動物保護行政により人間がサルの振る舞いに対してはっきりとした刑罰を下すことができなかったからである。

商店や農地のものを盗めばどういうことになるかを一回一回示すことができないので、サルが増長しているのだ。

動物保護とは、その動物の振る舞いを問わず、ただ保護するだけでよいというわけではないはずだ。

動物にもルールを教え込まなければならない。

商店や農地に入って商品や農作物を取ることは、窃盗であり、罪である。

罪を犯したものは、人間であれ動物であれ、刑罰を下さねばならない。下さないと、犯罪者が増え、秩序が乱れ、まじめに働いている人を苦しめ、人々から勤労の意欲を奪うことになる。

動物による被害の増加が人間による被害の増加と平行して増えているのは、行政が犯罪に対して厳しく臨むという姿勢を失っているからである。

これは、ニートの問題ともつながっていると思う。

昔は、子供は中学を卒業したらすぐに就職させ、家計を助けるために働かせた。

社会全体が、無職や無気力な人間を許さなかった。

世俗心理学は家族や両親に「ものわかりのよさ」を求める傾向があるが、ものわかりがよくなればなるほど、若者は病んでいくのだ。

法や義務の観念が欠如したまま「ものわかりのよさ」だけが一人歩きした結果が、今の様々な無法者の跳梁跋扈である。

この世界は、「取った行動の責任を本人に取らせる」ということによってはじめてまともに成立するように造られているのである。

「人を殺す者は、人の手によって殺される。」
「目には目」
「歯には歯」

聖書が教える法律の原則は、犯した犯罪の重さに応じた刑罰の実行である。

この均衡が崩れると、社会は確実に堕落し、無秩序化する。

 

 

2005年8月15日

 

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