血による救い



また私は、天にもう一つの巨大な驚くべきしるしを見た。七人の御使いが、最後の七つの災害を携えていた。神の激しい怒りはここに窮まるのである。
私は、火の混じった、ガラスの海のようなものを見た。獣と、その像と、その名を示す数字とに打ち勝った人々が、神の立琴を手にして、このガラスの海のほとりに立っていた。
彼らは、神のしもべモーセの歌と小羊の歌とを歌って言った。「あなたのみわざは偉大であり、驚くべきものです。主よ。万物の支配者である神よ。あなたの道は正しく、真実です。もろもろの民の王よ。
主よ。だれかあなたを恐れず、御名をほめたたえない者があるでしょうか。ただあなただけが、聖なる方です。すべての国々の民は来て、あなたの御前にひれ伏します。あなたの正しいさばきが、明らかにされたからです。」(黙示録15・1-4)

火の混じった海は、赤い海のイメージである。

これは、紅海を連想させる。紅海は、ギリシア語で「赤い海」。

赤い海のほとりで「神のしもべモーセの歌と小羊の歌とを歌」うクリスチャン。

もちろん、モーセに率いられたイスラエルの民が神の偉大な救いによって紅海を渡り、エジプト人は海に飲まれた出エジプト記の記述に基づく。

イスラエルが勝利して誉め歌を歌ったように、ここでクリスチャンは、紅海を渡り、「獣と、その像と、その名を示す数字とに打ち勝」ち、凱歌を歌っている。

「赤」は、契約の色である。

クリスチャンは、キリストの犠牲の血によって、契約に入る。

イスラエルの民は、鴨居に血を塗って、家に入る者を選別した。

契約の民だけが家に入り、救われることができた。

クリスチャンは、聖餐式において、ぶどう酒を飲む。赤は、契約に加入していることを示す色である。

カインとアベルの違いは、アベルが血の犠牲をささげていたが、カインはそうではなかったということだ。

アベルは救われ、カインは退けられた。

おそらく神社の鳥居が赤いのは、契約の中に入る者を吟味するためだろう。

紅海と同じように、契約の民だけを入れて、非契約の民を退けるためだろう。

聖書全体が、「血による救い」を証言している。

 

 

2009年7月22日

 

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