ディスペンセーショナリズムを捨てて行動せよ
前回の衆院選挙は棄権した。なぜならば、入れるに値する候補がいないから。
民主党が政権をとればどういうことになるかわかってはいたが、自民に入れる気にもならなかった。
このことをあるクリスチャンに言ったら、「そんなことでいいんですか!」とかなり強い口調で詰問された。
選挙投票は、義務ではなく、権利なんですよ。
福音派は、「政治に関与すると危険だよ」とか「政治を変えようとしてもムダだ。悪魔の支配を変えることはできない」とか「まもなく再臨があるから」とか言いながら、「選挙には行きましょう」と矛盾したことを言う。
徹底しろ。
投票に行くのが義務というなら、政治について考え、この世の中をどうしたらよいのかについて真剣に考え、議論すべき。
本気になってそのようなことをすれば、今の神学がいかにおかしいかは自ずからわかるだろう。
「この世に関わるな」という教えを徹底するなら、選挙にも行くな。
「まもなく再臨がある」という考えを徹底するなら、仕事なんかやめて、伝道者になれ。
一人でも携挙されるように働け。
ホームスクーリングなんかやるより、子どもを生んで育てるよりも、伝道を優先せよ。
この考え、おかしいでしょう?
ディスペンセーショナリズムを徹底すると、完全な浮き草になる。
私の親族は、ディスペンセーショナリズムで育った。
だから、私が政治の話をすると、「クリスチャンは政治に関わるな。関わってもムダだ」とたしなめられた。
しかし、最近は言わなくなった。
教会からどんどん人がいなくなっているからだ。
もう一つ、中国問題だ。侵略されかかっているときに、「やってもムダだ」とはいえないと分かったからだろう。
米国や中国の態度が変わったきっかけは、10月16日の尖閣デモだろうと思う。
あれで国民の抵抗を見た。
米国が本気を出した。日米安保を適用すると言い出した。
抵抗を具体的な形で示さないと伝わらないのだ。
こっちがやる気を出せば世界の人も理解する。
黙っていれば、どんどん侵略される。
僕も参加した。六本木の中国大使館に行った。
クリスチャンは、行動しなければならない。
そうしないと、悪魔はやりたい放題やる。
クリスチャンには祈りという強力な武器がある。
祈りによって国が動く。
クリスチャンはノンクリスチャンのとり成し手でもある。
だから、ノンクリスチャンのためにも祈るべき。
国境が守られ、正義が守られ、安全かつ安心して生活できるように代表として神に祈るべき。
善なる人々が行動を怠れば、必ず悪が勝利する。
エドマンド・バーク(18世紀の英国の政治家)
2011年1月15日
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