同じ祈りを繰り返すことについて


> それは、「ヤベツの祈り」と言いまして、個人的には知人からの警告で
> 同じ内容の祈りを何度も繰り返すように語り、呪詛的で自己啓発に近く
> ニューエイジ的なので関わらない方が良い。
> と言われてましたので警戒してました。
> もう少し教理的な裏付けが欲しいのです。

同じ祈りを繰り返すことによって効果があるというのは、非聖書的な因果律を唱える異端です。

因果律には次の4つがあります。*

1.機械論的因果律
100円を入れると、自動販売機からジュースが出てくるようなものです。
自然は神の契約とは無関係に自律的に機能しているという因果律。
理神論的、自然宗教的因果律。倫理とは無関係。
近代合理主義を信じる人間教がこの立場を取り、学校教育により我々はこれを信じるように誘導されている。
「弱肉強食の原理で世界は動いている」というような進化論は、この因果律です。

2.魔術的因果律
占いや呪術、称名など、何らかの行為によって超自然的な力を動かす。
倫理とは無関係。

3.機械論的・魔術的因果律
1と2の組合せ。

4.契約的因果律
聖書的因果律。神の契約を守るもしくは破るならば、その規定にしたがって賞罰が下る。
倫理的。

1〜3は、神を主権者としない教えであり、それゆえサタン的です。
人間が神を避け、自分の王国を作るために作り出した因果律。
力とか科学的原理、もしくは、聖書の神とは無関係な超自然的力によって、すべてが動いている、倫理など関係ないという立場。

4は、神を主権者とし、その法秩序にしたがっているので正当です。
人間は、神の被造物、臣下であり、神の法秩序を促進し、神の国を建設するために存在するので、この目的に合致しない行動はすべて負の結果を招きます。

祈りを繰り返すことによって神を動かすという考えは、魔術的因果律であり、異端です。

ただし、注意しなければならないのは、聖書では、イエスが「くどくどと祈るな、言葉数が多ければ聞かれると思うな」と述べておられる一方で、「しつこいほど祈れ」とも記されています。


また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。 (マタイ6・7)

また、イエスはこう言われた。「あなたがたのうち、だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、『君。パンを三つ貸してくれ。
友人が旅の途中、私のうちへ来たのだが、出してやるものがないのだ。』と言ったとします。
すると、彼は家の中からこう答えます。『めんどうをかけないでくれ。もう戸締まりもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。起きて、何かをやることはできない。』
あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。
わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。(ルカ11・5-9)

前者は、魔術的な祈りの禁止ですが、後者は、「神に対する熱心、誠意」の勧めであり、契約的です。

*
Ray Sutton,"That You May Prosper"。

 

 

2009年3月29日

 

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