基準を変えることによってこうむる被害
どの国家でも、一度共産主義を体験すると、人々はなかなか堕落から立ち直れない。
ロシアはかつて農民たちのほとんどが教会に通っていた。
ロシア革命は、人民が望んでいたことではなかった。
操作と扇動によって無理やり実現した。
共産主義の教育とともに人々は教会にいかなくなった。ソ連が崩壊した後でも人々の心には無神論が根強く残っている。
共産主義の社会の非常に大きな悪影響は、「国に依存する」ということだ。自立心が失われる。
人を堕落させようとするなら簡単なことだ。
その人が働かなくてもいいほどの金を与えよ。
有り余る金があって、しかも堕落しないならば、その人は立派だ。
だいたい補助金とか助成金というものを注ぎ込まれれば、組織は自浄努力を怠るようになる。
温室に閉じ込めるとひ弱になる。
競争ができなくなる。
いつも人に頼るようになる。
共産主義や社会主義は、依存心の強い人間を作り出す。
だから、いったんソ連の覇権下に入った国の人々は、立ち直るのに時間がかかる。
共産主義は、力の宗教である。だから、道徳など関係なくなる。
神の契約と異なる枠組みを与えられるので、人々の生活がとんちんかんになり、無用な苦労をするはめになる。
どういうことかというと、聖書律法を学ぶことは、我々にとって生活防衛なのだ。
たとえば、日本の法律において不倫は罪ではない。だから罪の意識なく人々がそのわなにはまる。
しかし、神の法がこの世界を支配しているから、不倫には厳しい刑罰がくる。
その苦しみによって様々な人々が傷つく。家族や子供。父親が不倫をすると、とくに女の子供は傷つく。男性不信になり、正常な結婚ができなくなる。
そういった不の連鎖のようなものが広がることにより、その人の一生に非常に大きな汚点と苦しみが残る。
こういった罪は、聖書の戒めを学んでいれば回避できるものだ。
だから、契約の民には特権が与えられているといえる。
旧約聖書の時代、ユダヤ人は、律法を愛していた。それは自分を守る道具であった。
サタンは異なる契約を結ばせようとするから、サタンと契約を結ぶと、これらの戒めには意味がないということになり、律法への無視が始まる。
共産主義国家において無神論がはびこったので、律法は次々と破られていった。
結局、人々は傷ついた。
共産主義体制のもとで暮らすことは、厳しいことである。
だめな基準を持つことによって無用な苦しみを積み重ねなければならないからだ。
2010年3月12日
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