牧師に対して軽々しく忠告するな
世界史の目的は、御国建設である。
だから、最大の罪と、最大の失敗とは、御国建設への妨害である。
昔から、新たな働きには反対がつきものであった。
なぜ反対があるかというと、一つはサタンの妨害であるが、もう一つは「無知」にある。
人間は神が何をなさろうとしておられるかが分からない。神の道は、人間の道をはるかに越えているからである。
だから、人間はとかく「善意から」御国を妨害することがある。
我々の周りにいる忠告する人々のほとんどは、後者である。
彼らは自分が分からないことを忠告する。
彼らは我々がどのような仕事をしているか分からない。目が開かれていないから。我々の働きが無駄に見える。もしくは、有害に見える。
常識によって頭脳が占領されていると、神の働きですら悪魔呼ばわりする。
しかし、残念なことは、御国の働きに対してたとえ「善意からであっても」妨害するならば、確実に裁かれる。
しかも、相手が正当な理由を示しているにもかかわらず頑固に否定し、攻撃し、悪い噂を流す人間は、確実に裁かれる。
イエスを忠告したペテロはひどい屈辱的な事件に巻き込まれた。
主を3度も否定するという罪を犯すはめに陥った。
我々は、誰かが献身をして宣教師になりたいという人が現れた場合に、賛成するにしろ、反対するにしろ、祈ってよく考えなければならない。
軽々に賛成もしくは反対したら大変なことになる。
御・国・を・妨・害・す・る・こ・と・に・な・る・か・ら。
とくに反対する場合には注意すべきだ。
人が神のために働きたいという願いを妨害したために悲惨な体験に巻き込まれた人々は無数にいる。
その代表格は、エジプトの王パロである。彼はモーセの神礼拝の申し出を拒絶した。そのために、自分の初子を含む、全エジプト人の初子が殺されるはめに陥った。
我々に対して「進化論を科学的に議論するな」と言った匿名のメールが来たが、こういうことができるのは、神の恐ろしさを体験したことがないからである。
自分が善意もしくは世話心で行ったことが、自分の身に裁きを招くことになるというこの霊的世界の厳しさを知らないからである。
だいたいにおいて、こういったことをやる人間は、信仰歴が浅いものだ。
この世界は、経験がものを言う面がある。
私もかつて牧師の人事をめぐって軽々に発言したために、後で大きな裁きを受けた。
私の行動によって影響を受けた牧師と同じことをさせられた。
信徒時代に牧師批判などやっている人間が、もし牧師になったら自分がやったのと同じことをやる人間が現れて自分を苦しめるだろう。
神は同じことによって報いる。
「同じ秤によって量られる」のだ。
この霊的な法則を知ることを「知恵を得る」という。
聖書には、これを知らずにバカをやる人間や異邦人が登場する。
ダビデは自分の上にいる権威サウル王に絶対に手をかけなかった。神を恐れていたからだ。しかし、知恵のない異邦人が手柄を立てようとサウルの首を取った。
シムイは、権威である王ダビデを呪った。ダビデはそれを甘受したが、シムイは後にソロモンとの約束を破ったために、彼によって処刑された。
どのような権威に対してであっても、我々は恐れを抱くべきだ。
軽々しく革命行為をするならば、自分に必ず返ってくる。
とくに、権威を帯びて御言葉を扱っている人間である牧師に対する無礼、攻撃、反抗、揶揄、中傷は、格別厳しい裁きがあることを覚悟すべきである。
2008年3月7日
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