キリスト教が西洋の宗教であるというイメージはいずれ崩壊する
「キリスト教って外国の宗教じゃないの?」と考えている日本人は多い。最近は結婚式をキリスト教式で行うことが多いので、次第に違和感は減りつつあるだろうが、やはり外国、西洋、アメリカの宗教という印象が強い。
私は、自分が日猶同祖論問題に関わるように導かれた意味についてこう考える。
すなわち、それは、「キリスト教における東西の壁を打ち砕くため」と。
キリスト教は、西も東もないのだ。
ユダヤ人は、紀元前から広く世界に広がっていた。とくにアジアには捕囚以後大量のユダヤ人がやってきた。
紀元前の世界において、東西文化を結びつけていた中心には離散ユダヤ人がいたのではないだろうか。
ヤコブが手紙の中において「12部族」に挨拶を送っている。
「神と主イエス・キリストのしもべヤコブが、国外に散っている十二の部族へあいさつを送ります。」(ヤコブ1・1)
ということは、当時12部族の間ではコミュニケーションがあったということである。パレスチナにいた2部族(正確にはレビ族も含まれるので3部族)だけではなく、離散した残り10部族のユダヤ人にも手紙が回覧されていたのだ。
アジア、つまり、インド、中国、韓国、日本・・・に住むクリスチャンユダヤ人には、弟子たちの情報が届いていたのだろう。
我々は、あまりにも学問的な情報に頼りすぎた。今の歴史学では、福音がそんなに早く東洋に届いたはずはない、と考えられている。
しかし、聖書の契約の概念を考慮するときに、それが間違いであり、世界に散っていたユダヤ人に紀元70年までに福音が届いたことが分かる。
保険の契約者は、事故などで病気や怪我をした場合に、保険金を受け取ることができる。
ユダヤ人は神との間に「救いの契約」を結んでいたので、救い主の到来を知らされる必要があるし、十字架の贖いを受け入れるならば救いをいただくこともできた。
保険会社が契約者に対して保険金の支払い義務があるのと同様に、神は契約の中にあったユダヤ人に福音を知らせ、受入れた者を救いに入れる責任がある。
契約を絶対遵守する神の誠実さは、弟子たちを世界の隅々に派遣し、契約の民に福音を語らせ、イエスの十字架の意味を説かせたことであろう。
もし福音がユダヤ人に伝えられなかったとしたら、神はアブラハムとの契約を破ったということになるのである。
契約を破れば、その違反者は真っ二つに裂かれてしまう。
「彼はそれら全部を持って来て、それらを真二つに切り裂き、その半分を互いに向かい合わせにした。しかし、鳥は切り裂かなかった。・・・さて、日は沈み、暗やみになったとき、そのとき、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた。
その日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。『わたしはあなたの子孫に、この地を与える。エジプトの川から、あの大川、ユーフラテス川まで。』」(創世記15・10、17)
ここで2つに切り裂かれたいけにえは、契約違反者の運命を示している。
神は、アブラハムとの間に結ばれた契約を覚えておられた。
だから、イエスは、世界のどこにいてもユダヤ人に福音を届けて集めると預言されたのである。
「人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。 」(マタイ24・31)
「そのとき、人の子は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民を集めます。」(マルコ13・27)
紀元70年のエルサレム神殿崩壊において、ユダヤ人は裁かれた。多くの人々がエルサレムにおいて虐殺された。
しかし、同時にイエスを信じた人々は救われた。御使いのお告げにより、彼らはエルサレムから逃げて近隣の町に移動した。
ここで旧約時代の世界は崩壊し、新しい新約時代のそれが始まった。
聖書の契約にしたがって見なければ、福音伝達が紀元1世紀に達成されたなんて馬鹿らしいと思われるだろう。
しかし、これは事実なのである。
これで東西を結ぶ一つの線が見えてきた。
この線をたどることによって、近い将来、キリスト教が西洋の宗教であるとする誤解を完全に消すことができるようになるだろう。
2006年6月11日
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