反逆の時代
聖書の古代イスラエルには、北朝と南朝があった。
北朝が先に滅んだ。北朝では、クーデターによる政権交代が頻発した。
クーデターをやる人々は呪われる。
なぜならば、それは神の秩序の破壊だからだ。
神はある地域や人々を統治するために、代理者を任命される。
聖書では、すべての現在の権威は、神が立てられたものだと述べられている。
どんな権威であっても神の御心によって成立する。
神の統治の方法は、そのような権威を通じてである。
神は、社会を直接支配されない。権威を選んで立てることによって統治される。
だから、すべての権威には神的な威厳があり、その権威に反抗することは、神の統治に対する挑戦である。
革命やクーデターは、神に対する攻撃である。
だから、革命やクーデターをやる人間は裁かれる。
しかるべき理由がない限り、会社を乗っ取ったり、部下を連れて飛び出す人々、教会を分裂させる人、年上に対して無礼を働く人々、老人を敬わない人、こういった人々は、神に対して喧嘩を売っているのだ。
ただ自分の支配欲、金銭欲から乗っ取りをたくらむ人には厳しい刑罰がのぞむ。
その人々は、自分がやったことをいずれ誰かにやられる。
北朝においてクーデターをたくらんで実行した人は同じようにクーデターで倒れた。
自分がやったのと同じことを他人からされた。
正しい権威や権力の獲得の方法は、「上位者や人々に認められてなる」という方法だ。
同意の中で権威を獲得することだ。
可能な限り、何事もみなの祝福を得て行うべきだ。
もちろん、神から直接、人々の反対の中で行うように指示される場合もある。
しかし、大部分の場合、上位者や権威に逆らって何かをやれば祝福はない。
共産主義の悪影響の一つは、「権威の軽視」である。
大学時代、共産主義にかぶれた人が「権力はことごとく悪である」と言っていた。
彼らには警察への敵意があった。
権力という言葉は悪と同義であった。
こういう人々が組織に入って、責任者のつるし上げなどをやった。
高校時代、よく教頭が生徒に取り囲まれて抗議されていた。
大学でもあった。
我々の時代は、権威に対する軽蔑がはびこった悪い時代であった。
これは、共産主義を通じて悪魔の教えが入ったからだ。
悪魔は神に逆らった。
彼は反逆のリーダーである。
どのような権威に対する反抗の中にも悪霊が入る。そして、その対立の火に油を注ぐ。
我々の世代には、権威に対してたてつくことが何かヒーロー的行動であるかのような錯覚がある。
権威に従順な人は、問題意識のない人間と見なされた。
ロックは反逆をイメージした。
我々の時代は、このように悪魔の影響が非常に強い時代であった。
私自身これらの何がよくて何が悪いことか判別ができなかったが、今になって聖書に基づいて考えた結果分かった。
まだ当時のことについて整理がついていない人が我々の世代には多いのではないだろうか。
20010年1月30日
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