プレ・ミレでは教会を励ますことができない6
<S様>
山岸先生は、尊敬する牧師の一人ですが、まさか貴方のご実家
に泊まられたとは、世の中は狭いものです。
山岸先生のディスペンセーション主義解説書を読みますと、現
代の教会は「主の祈り」を唱える必要はないなど、メジャーか
ら見れば、異端的な匂いがしますが、是非はともかく、これを
機に、ポストミレと比較しつつ、じっくり勉強し直したいと思
います。
<tomi>
O・T・アリスによれば、ディスペンセーショナリズムによれば、現代のクリスチャンにとって有効なのは、パウロの獄中書簡だけのようです。
ディスペンセーショナリズムは、時代によって聖書の中に有効な部分と無効な部分があると考えるため、実質的にリベラリズムと同じように聖書の十全性を侵す教えであると言えます。
聖書の一点一画たりとも、それを無効だと宣言する教えが正しいとは絶対に言うことができません。
「天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。」(マタイ5・18)
「聖書は廃棄されるものではない」(ヨハネ10・35)
片や無効個所を作りながら、片や「逐語解釈」を行うとは、ディスペンセーショナリズムは、自己矛盾していることに気づかないのでしょうか。
<S様>
また、プレミレとディスペンセーションに立つとは言え、山岸
先生の注解書は、安価で堅実なので、いろいろ問題があること
を説明しつつ、人に勧めています。
正統なディスペンセーションは、退潮気味のようですが、やや
内容を変えつつ、神学者の間に残っているような気がします。
ご指摘のように、主要な神学校では、壊滅的のようですが、何
故か、中欧で根強く残っているようです。
<tomi>
ディスペンセーショナリズムは、その大元で完全に崩壊していますが、しかし、風下のほうではまだ広く信じられていると感じます。
私が出会うクリスチャン(国籍を問わない)の99%が「終末が近い」「再臨は間近だ」と言います。
風下にまでディスペンセーショナリズムの崩壊が届くにはまだ時間がかかるかもしれません。
<S様>
高木先生の終末待望論は、これでも話半分に読んでいますが、
ロシアが軍事的暴走を起こすとか、(周期を考慮しても)地震
や天災の頻度が上がっているなど、うなづけるところはありま
す。それでも「終わりの日は父だけがご存知」というのですか
ら、恐ろしい話です。
むしろ、高木先生は、カリスマ派の奇矯な振る舞いを、聖書や
心理学を持ち出して、批判した功績が大きいと思います。私は
第三の波運動に惹かれていましたが、胡散臭さも感じていまし
た。高木先生の本で、聖霊の働きで後ろに引っくり返るのは、
聖書的におかしいとか、海外の第三の波の指導者の著作は、大
袈裟であるという批判で、相対化することができました。
ハル・リンゼイという方は、よく存じないのですが、金と女性
に堕落するとは、情けない話です。リンゼイ兄の上に、リバイ
バルが起こりますように。
<tomi>
ハル・リンゼイは、現在の終末論ブームを作り出した人です。高木先生の本は、明らかに彼の『地球最後の日』という本に影響されています。内容がそっくりだからです。
私は、学生時代にハル・リンゼイの本に深く影響され、その影響は就職活動などに大きな影響を与えました。
当時、携挙が1985年頃に起こるのではないかと本当に思っていましたので、就職しても上の空で、「こんな金儲けをやっていても仕方がないのではないか」と半分足を抜いた状態で仕事をしていました。
人生設計というものがまるでできずに、大いに苦しみました。
終末が間近だと信じながら、プロとしてまともな仕事ができるわけがありません。
私はクリスチャンの本当の姿とは、プロジェクトXの人々のように、技術を進歩発展させて、社会の進歩に貢献するプロフェッショナルにあると思っています。
しかし、終末が間近だと信じて、仕事に身を入れることができない中途半端な人間が何かの革新的仕事を行うことは絶対にできないのです。
クリスチャンの使命はあくまでも「地を従え」(創世記1・18)ることにあります。
この使命から引き離す教えは、神以外のものを中心とするカルトであり、異端であると考えています。
カリスマ派などの現代的運動は、聖書から乖離すればするほど異教的な要素が強くなっています。聖書に帰り、聖書から考えていくことがなければ、知らず知らずのうちにサタンのコントロールのうちにあらぬ方向に引っ張られるということになりかねません。
<S様>
聖書の読み方については、いのちのことば社の復刊で、榊原先
生の「聖書読解術」などが出るそうで、予約しました。逐語解
釈の他に、様々な解釈方法を指南してくれるそうで、刊行が楽
しみです。
改革派で、バルトの好敵手、コーネリウス・ヴァン・ティルの
本が、いのちのことば社から出るそうですが、どうせなら、ポ
ストミレや再建主義についてのテキストにも、手を広げて欲し
いものです。いのちのことば社は、偏り気味です。
<tomi>
ことば社がヴァン・ティルの本を出すというのは非常に好ましい傾向と言えます。
ことば社はたしか同盟の関係で、プレ・ミレです。
ポスト・ミレや再建主義の本を出せば、日本の教会は現在の停滞を一挙に打破できるでしょう。
<S様>
かと言って、リベラルな大手は、ポストミレや再建主義は、ア
メリカ人の考え出した反動神学という扱いです。
ブース大将がポストミレでしたから、もしかすれば、救世軍に
テキストがないかなと思っていますが、閉鎖的な上に、東北地
方には救世軍小隊が無いので、上京して出版供給部に乗り込む
しか無いようです。
<tomi>
リベラルは今のところ、再建主義のことを正しく理解していません。
彼らの批評は、原書を当って行ったものではなく、誰か間違った意見を持つ人々の批評を丸のみしているに過ぎません。
「反動」なんて言葉がそもそも、ヘーゲル主義的、共産主義的なのです。
リベラリズムは、軽軽しく我々にレッテルを貼りをして一人相撲するのではなく、よく相手の主張を吟味して、再建主義の著書を読みながら、一度自分の思想的な基盤から反省して、その出発点を自己批判すべきです。
批判家の最大の敵は、「相手を理解したくない」という偏った心にあります。
偏見を持ったままで文章を出しつづけると自分の職業的な履歴に致命的な傷がつきます。
2005年10月1日
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