サタンは聖書的カウンセラーへの信頼を失わせようとしている


長いことカウンセリングを行ってきて、うまくいくこともあれば、失敗することもある。

残念ながら、失敗すると、結果は悲惨である。相手はサタンなので、場合によっては死に至らしめられる。

聖書の教えにしたがって自分の考え方を変えるならば、成功する以外にない。神は、確実に解放される道を示してくださる。

こちらは聖書的解決法のみを熱心に勧める。

しかし、サタンはこの方法をある手段を使って駄目にする。

どういう手段か。

カウンセラーに対する信頼を失わせることである。

カウンセリングの途中で遠ざかる人には、どこかにおいてカウンセラーに対する嫌悪や敵意、不信に陥っている場合が多い。

これは本当にささいなことをきっかけにして起こる。

カウンセラーの欠点を見つけるとか、能力に対する軽蔑とか。

カウンセリングで失敗する人の根本的な問題は、傲慢である。

カウンセラーの欠点を見つけると、すぐに優位に立ったと考える。
そして、相手の意見を聞かなくなって、自分流の解決法を探すようになり、自滅するのである。

予備校で教えていたときも、同じような子供たちがいた。

彼らの期待に応えるためには、講師はヒーローにならなければならなかった。

「俺の授業を取っていれば必ず合格する」と宣言する講師がいた。

彼を信じて1年間ついていったのに落ちると、「君の勉強方法が悪かったからだ」と責任を回避する。

人間をヒーローにしたがる人は、こんな悪魔的なだましにホイホイと乗る人である。

牧師の人間的魅力で成り立っている教会も同じようなものである。

信徒は神を求めているのではなく、人間を求めてやってくる。

そのような教会を維持するためには、牧師は人間以上のものにならなければならない。

しかし、しょせん人間は人間なのである。自分を偽らなければやっていけない宗教とは何か。

牧師がアイドルにならなければ成り立たない集団とは何だろう?

私は、成長するにつれて牧師の姿が薄れていくような教会こそが真の教会だと思う。

キリストの姿が鮮明になり、牧師がどこかに消えていくようなそんな牧会をしていなければ何かが間違っているのだ。

カウンセリングも同じである。

カウンセラーがアイドルにならなければならないようなカウンセリングは不健全である。

私は、人間は教えそのものにおいて成長するときに、立派に自立できると考える。

教育がしっかりしていないと、集団はいつまでも指導者依存の幼稚園的体質から抜け出ることができない。

聖書的カウンセラーに対して不信を抱き、自分流の解決法を求めることの結末は悲惨なものである。

聖書的解決を求めなくなれば、残るは、サタン的解決法しかない。

サタンの誘導の結末は破滅である。

サタンは、しきりにカウンセラーへの不信を植え付けようとしている。そして、聖書的カウンセリングから遠ざけ、ヒューマニズムのそれに向かわせる。

このような罠の仕組みがあるということをぜひ覚えていて欲しい。

 

 

2006年6月15日

 

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