家系の救い
学校などで偏向教育を受けると、キリスト教など宗教を「偏見にとらわれた狂信者」のように見る人間が育つ。
「奴らは、科学的事実を無視し、聖書を文字通り信じている。まったく根拠のない教えを信じている偏った人々だ」などと。
学校教育がいかに悪魔的であるかの証左である。
こんなことを教える教師のところに通わせて、しかもなお子供が信仰を継承すると期待するのも愚かである。
多くの人が誤解しているが、我々がクリスチャンになったということは、同時に「我々はクリスチャンの家系を作るように召された」ということを意味する。
「自分は自分、子孫は子孫」などという考えは聖書の中にない。
アブラハム契約、モーセ契約、ダビデ契約すべて、「子孫への約束」であった。
モーセ律法において「教育」「相続」が重要な意味を持っていたのは、このためだ。
つまり、「我々は、子孫の信仰継承に対して責任がある」と。
神が、我々を救いに召されたのは、我々が家系としてクリスチャンになるためだ。
神のご計画とは、我々を神の民とし、我々の子孫を増やし、富を蓄積させ、この地上における支配勢力とすることにある。
これ以外において、御国の発展はありえない。
一代一代で終わるクリスチャンを想定するならば、いつまでたっても御国などできない。
ディスペンセーショナリズムは、この地上支配について責任を持たせない教えだから、今日の教会において「家系の救い」という教えがないのだ。
日本のクリスチャンは、自分の家系を日本の支配勢力として確立するための計画を立てなければならない。
そのためには、聖書に基づく首尾一貫した信仰教育と、財産の蓄積が重要だ。
自分の世代よりも次の世代のほうが信仰においても、財産においても、進歩していなければならない。
しかし、サタンはこの2つの要素において、クリスチャンを一代限りでつぶしてしまおうとしている。
サタンの傀儡どもは、義務教育制度によりクリスチャンの信仰をぐらつかせ、相続税によって蓄財を妨害してきた。
モーセ律法は、御国建設のための法律(教え)である。
この地上において、クリスチャンがヘゲモニーを確立するための指導書である。
姦淫が重大な罪とみなされているのは、姦淫によって家庭が崩壊するからである。
御国建設の基礎である家庭が崩壊するならば、家系の繁栄どころではない。
常にクリスチャンは一からキリスト教の未開の地に伝道をやり直すということになる。
実際、我々の状態を見ればそれに近い。強固なクリスチャンホームが建設されているというよりも、子供たちが信仰を失って未信者の文化の海の中で溺れているというのが現状ではないだろうか。
原因は何か?
教育が悪い。子供達は、信仰を奪うような教育を施されている。政治が悪い。重税や相続税によって財産が国家に吸い取られている。
教会での教えが悪い。地上支配(創世記1・28)というクリスチャンの使命をぼかし、重要な教理を伝えていない。ただ個人が救われて天国に行ければいいじゃないか、という教えだ。
やたらと終末の切迫をあおり、「まもなく再臨だ。今の世は我々と関係ない」と教えている。
これらすべて悪魔の騙し。目を覚まそう。
2007年10月31日
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