悔い改めは裁きを回避する唯一の方法である
昔、ある牧師から翻訳の仕事を受けた。
出来上がったものを提出する直前になって、2万円の割引を要求してきた。
仕上がりを見て、でならばいくらか理解できるが、まったく見ないでである。
こういう非道を行う人間が牧会などできるはずはないと思っていたら、やはり尻すぼみだそうである。
おそらくこういうことを他の人間にもやっているのだろう。
誰にも相手にされなくなるのは当然である。自分で蒔いた実を刈り取っている。
もう一例。
最近あるテロップ制作者から、原稿料のトラブルがあると私の友人から聞いた。その人が仕事を受けた業者は以前から私の友人にもおかしなことをしていた。仕上がりの原稿料と違う値段を突然言ってきたり。
「ああ、その業者いずれはじかれるでしょう。」と前から友人に言っていたら、最近裁判になっているという。
裁判沙汰により、信用失墜である。業界からはじかれるだろう。
食品偽装問題とか、いろんな問題が明るみに出てきている。
結局、人間はやったことの報いを受けるように作られているのだ。
だから、神を恐れなさいと。
誰も聖人なる必要はない。悔い改めだ。
悔い改めだけが、裁きを回避する唯一の方法である。
不正や非道を行うなら、最後にどか〜んと自分のあらゆる信用も富も名声も奪うことが起きる。
こんな最後を迎えるのは愚か者である。
2008年8月16日
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