新改訳は、ディスペンセーショナリズムの終末論が正しいと信じさせるために意図的な訳が施されている。
例えば、黙示録9:15は、次のように訳されている。
「すると、定められた時、日、月、年のために用意されていた四人の御使いが、人類の三分の一を殺すために解き放された。」
ここで「人類」と訳されている箇所は、原語では、των ανθρωπωνである。
τωνは定冠詞。ανθρωπωνはανθρωποs(人間)の複数属格である。
つまり、「それらの人々(の)」または「まさにその人々(の)」である。
9・18の「人類」も同じくτων ανθρωπωνである。
どうして「人類」なんて訳したのだろうか。
人類と訳されると、この災厄は地域的な災害ではなく、全地球規模の破局と受け取られてしまう。
また、黙示録1・7も同じような意図的な訳がされている。
「見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。」
ここで「諸族」に当たる言葉は原語ではφυλαιだが、これは、辞書によると、「族長ヤコブの12人の息子たちから出たすべての人々all the persons descended from the twelve sons of the patriarch Jacob (Greek-English Lexicon of the New Test. Baker, Grand Rapids, Michigan)」を指す。
つまり、ユダヤ人の諸氏族が人の子の来臨を見ると言っているのだ。
しかし、新改訳だと、全世界の人々が見るような印象を受ける。
黙示録を、旧約のイスラエルに対する裁きという本来の意味を失わせ、あたかもそれが世界の終末に関する預言であるかの印象を与えようとする意図が見える。
黙示録は、ヨハネが、当時今まさに来たらんとする旧約世界の終末を預言し、記した書物である。
我々から見て未来に起こる世界の終末の出来事を記した書物ではない。
だいいちあて先が、当時の紀元1世紀のアジアの教会の人々である。
今後、もしかして2010年頃に起こるかもしれない世界終末預言を彼らに「警告」して何の意味があるのだろうか。
黙示録の中で、その直接のあて先の人々にとって無意味なものは一つも記されていない。
だから、「獣の数字を読み解け」と言われたら、我々は、今後世界を経済統制するかもしれない世界政府の王と解釈すべきではなく、当時の人々にとっての獣を探るべきなのだ。
黙示録を我々に対する直接的預言と解釈し、世界がこれから大患難時代に突入するという思想は聖書のいかなる箇所からも導くことのできないものである。
この新改訳聖書の翻訳にはロックフェラーが金を出したという。
そして、ロックフェラーの様々な発言を総合すると、彼ら世界政府論者は、黙示録の工程表を使って陰謀的に事件を作り出していると思える。
彼らの最終目的は、黙示録13章に記されていると彼らがいう全人類の完全支配、奴隷化である。
恐らく、彼らはクリスチャンに、このストーリーを説く聖書、例えばスコフィールド聖書や新改訳聖書を与え、ハル・リンゼイやティム・ラヘイに終末預言本を書かせて洗脳し、それを実際に実行することにより、自分達の全能性をアピールしたいのではないだろうか。
「聖書のとおりに世界は動いている。我々は666だ。世界が我々に牛耳られるのは聖書においてすでに決定されているから抵抗しても無駄だ」と。
黙示録9・11を見て欲しい。
「彼らは、底知れぬ所の御使いを王にいただいている。彼の名はヘブル語でアバドンといい、ギリシヤ語でアポリュオンという。 」
アバドンは「破壊」を、アポリュオンは破壊者を意味する。
あの911事件の首謀者がこの箇所を意識しているのは明らかだ。
クリスチャンは騙されないようにしよう。
彼らは、オウムと同じように、自分でカルトの教えを作り、それを自ら実践しようとしている。
まさに「偽りの霊」に取り付かれているとしか思えない。