クリスチャン・シオニズムの致命的な誤謬2
このように言うと、「クリスチャンが世界の領土の支配者であるとあなたは言うが、実際に我々は何も持っていないではないか」という人がいるかもしれない。
我々に与えられているのは「法的な資格」であり、「実際的な資格」ではない。
神がイスラエルに対して「カナンをあなたがたに与えた」と宣言された時に、まだイスラエルは実際には所有者ではなかった。法的な所有者にはなったが、まだ侵攻は始まっていなかった。
これと同じである。
神がクリスチャンに「全世界をあなたがたに与えた」と宣言された時に、神は実質的に「戦え」といわれたのである。
戦いをせずに獲得などできない。
「戦わずとも、再臨のキリストがやってくださるから」と考えるのがプレ・ミレである。
しかし、聖書全体にそのような支配の方法はない。
アダムに対しても、「地を支配せよ」と命令されたが、神が全部やったなど書いていない。神はアダムに地の支配権を与えたのである。しかし、実際に支配を実行するには「労働」が必要だった。
イスラエルにカナンが与えられた時も「私が戦い取るから待っていなさい」とは言わず、「行け。戦え。」と言われた。
聖書の支配獲得の方法は、「神の一方的な働き」ではなく、「神と人との共同作業」だと言われている。
我々は、世界を支配する権利は与えられているが、実際に苦労し、傷つきながら神の力を信じつつ前進する以外にはその支配は実現しない。
神の国は、徐々に拡大するものである。突然の救世主の飛来による瞬間的実現によるのではない。
「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」(マタイ13・31-32)
「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」(マタイ28・19-20)
2004年5月11日
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