不道徳なキリスト教界は崩壊する


<Sugi様>
ご回答を感謝いたします。半陰陽についてもう少し。

例えば精巣性女性化症と言う病気があるそうです。これは生まれながらに外性器は女性のものであるが(膣は形成不全となっている。)子宮や卵管は形成されないとのことです。そして染色体は完全に男性、そして、本人は思春期になるまで完全に女性と思って生活し社会もそのように認知していることになります。そういうわけで、矯正手術は染色体型は男性であるにも関わらず、女性にする方向で行なわれるようです。

小児科の難病としての半陰陽者の方々のためのウェブサイトもありますが、そこでは皆さんが大変つらい思いをしていらっしゃるようです。

私は個人的には半陰陽者の方々の場合 本人の自己認識によって性を決め、(それに矯正手術もそれにそって行なう)のが良いと考えます。

本人が矯正手術を望まない場合、それはそのままにしておいて良いのだと思うのです。主イエス・キリストのマタイ19章12節の最後の部分の「それができる者はそれを受け入れなさい。」という言葉はそのことを私たちに教えているように思います。

つまり、聖書の御言葉の光に照らされて、身体障害者の方々が自らが神様の恵みのなかで生かされていることをはっきりと自覚されること(家族の認知そして、自己認識の確立)、そして、教会が彼等をまず聖書的かつ契約的に認知(聖書に基づいた社会制度による認知)することが、問題の解決につながると考えます。

性転換手術、性同一性障害といったことがらを、いまのところ、
ノン・クリスチャンが主導権をとって解決にあたろうとしているところに問題があるのです。 そのために、反聖書的な思想がこの問題を利用して、性倫理を混乱させているように見えます。

この問題の解決にあたってもクリスチャンが主導権をとらなければなりません。 そのために聖書的決疑論を教会が推進していかねばならないのです。

私は聖書的決疑論を回復するにあたって、注意しなければならないことがあると考えます。 

それは、決して早まった裁きをしてはならないということです。わしたちは、御言葉を学び、祈り、よく考え、慎重に(しかしあまり時間をかけすぎることなく)結論を出さなければなりません。そうしないと、私たちのしていることは、実に浅薄なものになってしまうからです。ここには、私たちの属している教会のあり方、私たちの読む本、学んでいる神学などがすべてかかわってくるのです

この件はとりあえずこのへんで一段落させていただきたく存じます。

富井先生いつもありがとうございます。

<tomi>

Sugi様のご意見に賛成します。
ご指摘のように、この問題をはじめ、聖書的決疑論を行う際に必要なのは慎重な決定と、遅すぎない決断だと思います。

今日のように、聖書を最高権威としない判断は結局のところ、神への恐れの欠如と人間への恐れに終わり、実質的に弱肉強食の不道徳な社会を生み出すと思います。

アメリカを見ますと、聖書を最高権威として聖書的制限がきかないため、ホモの結婚などが行われ、映画やテレビなどを通じて、社会の倫理的崩壊が続いています。

日本はこれほどの堕落には陥っていませんが、しかし、このまま社会に倫理的基準がなければ、世代がたつにつれて水準が次第に落ちていき、ついにはめちゃくちゃな世の中になる恐れが十分にあります。

クリスチャンが各分野において真剣に聖書的に問題を考え、ノンクリスチャンとは一線を画した問題解決を求めることによって、クリスチャンは祝福され、その影響は強くなりますが、今のようにあきらめが先にたち、ただひたすらに終末を待ち望むことになれば、地の塩、世の光としての役割を果たすことができないので、神と人とに捨てられてしまいます。

金曜日にディスペンセーショナリズムのアメリカ人クリスチャンの家庭で話し合って感じたことは、ディスペンセーショナリズムの人々は、理由なくプレ・ミレを信じており、それを聖書から論証できない、ということです。

もう「この世は変わらない。今の堕落は終末のしるしだ。」という思考回路から抜け出すことができません。この頑固な態度は、結局のところ、悪魔を喜ばせ、世界の崩壊を促進させています。

このような「あきらめ」を説くクリスチャンには、「主人の心を知りながらそのために用意しなかったしもべはよけいに大きな懲らしめを受ける」とのイエスの御言葉が成就するでしょう。

この不信仰で、不道徳なクリスチャン世界が早く崩壊して、主を愛する真面目なクリスチャンがキリスト教界の指導者になって欲しいと考えています。

 

 

2004年5月23日

 

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