社会的自由を維持するための原則
我々を批判する人々は、だいたい我々を全体主義者と誤解している。
彼らは我々の「強制的」な言葉に敏感に反応する。
例えば、人を殺す者を処刑せよと言うと、「怖い。ヒトラーや金正日みたい」と連想する。
よく相手の言っていることを理解しようとしないと本当に大切なことと間違ったことを区別できなくなるから注意しよう。
(1)倫理に関して不寛容
人間どの社会においてもやっていいことと悪いことがある。
自由を尊重するあまりに不道徳なことを許すと、逆に社会には自由がなくなる。
例えば「嘘をついてもいい」という社会、偽証罪がない法廷、契約違反が横行する商業、こういった環境では自由はありえない。
人々は、疑心暗鬼になり、取引に大きな保険をかける必要があり、そのためコストが上がる。
信用や信頼関係を築くことができない社会では、無駄なお金が必要になるから不自由は拡大する。
殺人を厳しく罰しない社会では、戒厳令が敷かれたような状態になる。アメリカのように、夜女性が一人で歩くことなど不可能になる。
死刑廃止論者は、自分では愛情溢れる人間と思っているかもしれないが、社会を不自由にする病原体である。
十戒に書かれている、人間にとって当然歩むべき道、規則を外れた人間を許すことは、社会を崩壊させる害毒である。
(2)倫理以外において寛容
倫理以外において社会は自由を与えなければならない。
例えば、個人のセンスを発揮するファッション、音楽、スポーツ・・・
これらの様々な分野において、自由な自己表現を認めるべきだ。
ただし、ポルノなど姦淫を誘発するような表現は禁止される。
ポルノは自由な表現ではなく、不道徳である。これは倫理に属する問題だ。だから、規制しないと、社会から自由が消える。
姦淫が広まり、家庭が崩壊すると、両親のもとできちんとした教育や訓練を施されない子供たちが増える。(片親だからダメだと言っているのではない。一般的な傾向として言っているのだ。)
ポルノを放置する国の秩序は土台から瓦解する。
秩序崩壊によって影響を受けるのはまじめに生活している遵法的な人々だ。
最近のエロ教師やエロ警察官、エロ大学教授の事件多発は、日本においてポルノが自由に広まっているからだ。
人間の弱い部分を利用して、社会を崩壊させようとしている悪魔の力だ。
自由と放縦をはきちがえると、いずれしっぺがえしを食らうだろう。
社会的混乱を利用する独裁者によって支配されることになるだろう。
自由な社会を維持するためには、「倫理に関して不寛容、その他に関して寛容」という原則をしっかり認識しよう!
2007年9月20日
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