裏を見れなければ物事を正しく評価することはできない
この世界は、表と裏で成立している。
表だけ見ていては分からない。裏を見てはじめて物事は総合的に分かる。
イエスはパリサイ人に「見るには見るが、見えず、聞くには聞くが悟らず」と非難された。
我々は、聖霊の働きによって、それまで見えていた世界の裏に壮大な霊の世界があることに気づく。その規模があまりにも大きく、また、その時があまりにも唐突に来るので、驚いてしまう。
預言者エリシャは、敵におびえる弟子に神の守りを見せて安心させた。
「そして、エリシャは祈って主に願った。『どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。』主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。」(2列王記6・17)
我々クリスチャンには、我々のために使わされている天使がいる。
「あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。」(マタイ18・10)
私の知り合いの牧師は、「飛行機に乗っている時に、旅の安全を守ってくださいと祈ると、窓の外に天使が飛行機の羽を支えながら飛んでいるのが見えた」と語った。
伝道師のイリエ・コロアマ師は共産主義の時代、ルーマニアから西側に脱出するために国境付近で隠れていた。軍用犬を連れた警備兵が近づいてきたが、まったく彼に気づかずに素通りして行った。神の奇跡的な守りがあったと信じていると述べた。
コインの表が大きければ、その裏も大きいのと同じように、表の現象世界が巨大であれば、裏の霊的世界も巨大なのである。
無数の人間がいて、みなが罪を犯しているならば、その罪を償うキリストは神でなければならない。
単なる人間では、つりあいがとれない。
無数の罪人と、それを贖う無限の絶対主。
世界はこのようにしてバランスが取れているのである。
偽造建築問題を起すような人間は、世の中の表しか見ていない。
裏の世界に目が開かれるならば、あんなことはできないはずだ。
科学で理解できるような表の領域だけで世界全体を評価するような、戦後唯物論教育の結果を我々は目にしはじめているのではないだろうか。
2005年12月11日
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