賢い者は神への信頼を貫く


ドーイウェールトは、ヒューマニズムには2つの理念があると述べた。

1.ヒューマニズムの人格理念
2.ヒューマニズムの科学理念

1は、人間の自由を求める。つまり「人間はいっさいのものから自由だ」と。エデンの園においてサタンに騙されたエバが求めたものだ。

2は、科学原理の自律性を求める。この宇宙において神はいない、何が作用しているかというと、科学法則だけだと。

この両者は、絶対に調和しない。

科学法則が自律しているならば、人間には夢も希望もない。

「この世界は、神の超自然的な介入はなく、すべて科学法則によって進行している。」という考えを徹底すると、「強い者が勝ち、弱い者が負ける」という原理が常に例外なく通用することになって、正義とか道徳に意味がなくなる。

だから、陰謀について知るならば、絶望しかないのだ。

「巨大な権力を持つ銀行家たちが、世界を支配し、これから世界統一政府が出現し、大虐殺が始まる。世界の人口は5億人になる」と。

こんな考えでは、絶望とあきらめしか生まれない。

今人々が希望を持って暮らしているのは、単に知識がないからだ。

今世界で進行している独裁制への移行に気づいていないからだ。マスコミが牛耳られているので、情報が入ってこないだけだ。

聖書に立つ我々は、ヒューマニズムの二つの理念を信じない。

我々は次のように考える。


人間を超えた力によって、正義と倫理と愛が勝利する。

希望は、陰謀家を超えた力を持つ神にある。

神にとって、世界は、洗面器の水滴、ごみ、ちりである。

見よ。国々は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。見よ。主は島々を細かいちりのように取り上げる。(イザヤ40・15)

神は、陰謀をたくらむ人々をあざ笑われる。

なぜ国々は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか。
地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、主と、主に油をそそがれた者とに逆らう。
「さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。」
天の御座に着いておられる方は笑う。主はその者どもをあざけられる。
ここに主は、怒りをもって彼らに告げ、燃える怒りで彼らを恐れおののかせる。(詩篇2・1-5)

神に敵対しても無駄だ。

力が違いすぎる。

愚か者は、洗面器のしずく、ごみ、ちりに信頼する。

賢い者は、神への信頼を貫く。

 

 

2010年7月6日

 

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