御名を呼ぶということについて
> 偶像礼拝についてお尋ねします。
> 両親が神棚をまつり拝んでいます。私が勝手に神棚を処分することができないのですが
> 両親の偶像礼拝による悪霊の影響を私が受けないようにするにはどうしたらいいのでしょうか?
> 良いお祈りがあれば教えてください。
御名を唱えることをお勧めします。
イエス・キリスト、我はありてある者なり(または、我はある)、などの主の御名です。
「御名をみだりに唱えな」との戒めがありますが、神の助けを受けるために呼び求めることは罪ではありません。いや、むしろ神を尊んでいることになるのです。
旧約のイスラエルでは、御名が唱えられていました。しかし、中間時代にアンティオコス・エピファネスという外国の王がイスラエルを支配すると、御名を唱えることを禁止しました。独立を回復した後では、ユダヤ人の宗教指導者たちが御名を唱えることを禁止したため、御名を唱える習慣は消えました。
恐らく、御名を唱える習慣を復活したのはイエスさまでしょう。
イエスさまは、何度も「我はある(ギリシャ語で『エゴー・エイミ』)」と唱えられました。
使徒の働きにおいて、弟子たちは、「御名を呼ぶ者たち」と呼ばれていました。
ですから、初代教会において、御名を呼ぶということが普通に行われていたことが分かります。
しかし、それ以後、この習慣は教会から消えてしまいました。わずかに東方教会に残っていましたが、それも消えています。
ヤコブは神の御使いと相撲を取ったときに、「あなたのお名前は何ですか?」と尋ねました。
イスラエルにおいて、名前は実体を表現しているので、名前を知ることは、対象をコントロールすることにつながるという信仰が古代からあります。
エゼキエル9・4には、契約の民の額には「タウ」の文字が記されているとあります。
ヘブル文字の「タウ」の形は、「十字」でした。ですから契約の民の額の印は「十字」でした。黙示録を見ると、獣は、獣を拝み契約を結ぶ人々の額に「獣の名」を記したとあります。
このことから、クリスチャンの額には、目には見えませんが、「イエス・キリスト」の御名が刻印されていると推測できます。
イエスは悪霊を追い出すときに、相手の名前を尋ね、その名前を呼んで追い出しをされました。
危険を感じたり、悪霊の影響を受けそうなときに、御名を幾度も唱えてください。
私はよく気管にものが入るのですが、まったく息ができないときに、御名を数回唱えます。すると、すっと回復します。
神に願うときに御名を呼ぶことについては、エリヤがバアルの預言者と対決したときに、「『あなたがたは自分たちの神の名を呼べ。私は主の名を呼ぼう。そのとき、火をもって答える神、その方が神である。』民はみな答えて、『それがよい。』と言った。」(1列王記18・24)と述べたことから正当であることが分かります。
今日、クリスチャンは御名を呼ぶというすばらしい習慣を理解していないために大きな損をしています。
御名を唱えることによって、我々の内側に主が住んでおられるということを驚くべき体験を持って感じることができるでしょう。
私たちの体は聖霊の宮ですから、御名を繰り返し呼ぶことによって、神の臨在を顕著に感じることができます。そのことをある教派では「立ちあがる」という言葉を使って表現しています。
> 又私は以前、カトリックに行っていましたが、カトリックの偶像礼拝に気付き今は行っていませんが
> カトリックの本をたくさん持っています。カトリックの本は処分すべきでしょうか?
> 本を持っているだけで偶像礼拝になるのでしょうか?
> お手数ですがよろしくお願いします。
持っているだけでは、偶像礼拝にはなりませんが、しかし、誘惑にはなります。
古巣に戻る誘惑を立ちきるためにも、できるだけ処分するほうがよいと思います。
2005年6月7日
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