現代の国家は聖書の神を否定して作り上げられた偽神である
帝国主義の世界進出は、それ以前のヨーロッパの世界進出とは違う。
19世紀から20世紀の帝国主義とは、ヘーゲルの「地上を歩く神」である国家の自己実現である。
だから、帝国と、ヘーゲルの弟子マルクスの共産主義国とは、「神」であるという点で共通している。
大日本帝国も同じだ。日本の中国進出とは、国家という名の神が自分の権力を中国において拡大したことにほかならない。
この神は、国民を奴隷とする。財産から命からなにからなにまですべて支配し、絶対的な権限を行使することを望む。
まさにこの神とは悪魔である。
帝国とは、悪魔・悪霊の具現化である。
他国を侵略し、他国民を奴隷化すること。世界を奴隷化すること。こういう背後の野心が帝国にはある。
帝国主義の時代がなぜ悪魔的であるか理由ははっきりしている。
真の神のライバルだからだ。
ヘーゲルは、「人間は聖書によらず、世界観を自由に作ることができる」としたカントの流れをくむ観念論思想家である。
カントの動機は、キリストの神に代わるものを作り出すことにあった。
人間から出発して人間に帰る「人間教」の神を作ることにあった。
その神をヘーゲルは国家とした。
だから、ヘーゲル以前の国家とそれ以後の国家とは性格がまったく異なる。
つまりヘーゲル以後、国家は「自覚的に神のライバルになった」。
日本が明治維新において、列強にまねてこのような国家に変貌したことは、大きな悲劇であった。
日本国は偽神になった果実を刈り取った。
まさに「剣を取る者は剣で滅びる」である。
戦後、共産化された日本は、依然としてこの「偽神」であり続けている。
我々がもし国に何かを期待するならば、裏切られる以外にはないだろう。
このヘーゲル思想に基づく国家は、まさしく真の神の真似事をする。
サタンが神に似た行動をするように、国は、神が約束する祝福を自分で提供しようとする。
しかし、サタンが偽りの父であるように、国もその約束を裏切る。
もうそろそろ我々は気づくべきだ。
国は神になれない。国の福祉とは、偽神の祝福である。
それゆえ、実体がない。
我々は、今、聖書の神を捨てた罪の責任を取らされているのだ。
偶像である国に頼っても無駄である。
今の政治家がどんなに頑張って正しい道に戻そうとしても、国の意味がおかしいのだから、必ず失敗する。
我々が国に信頼する限り、騙され続けるカルト信者以上にはなれない。
2008年11月28日
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