聖書は、紀元70年を(旧約時代の)終末と位置づけている。
新約聖書の終末預言はみな、このポイントを指している。
その証拠は、マタイ24章の「ゲネア」という言葉だ。
イエスは、弟子たちの「世の終わりにどのようなことが起こるのですか」という質問に、様々な前兆を挙げられた。
地震やききん、偽預言者など。
そして、最後に「これらは、このゲネアのうちに起こる」と言われた。ゲネアとは、「世代」という意味であり、30-33年を指す。
つまり、マタイ24章は、世界(コスモス)の終末ではなく、時代の終末に関する終末預言なのである。事実、弟子たちの質問の中の「世」は原語で「アイオーン(時代)」という言葉が使われている。
イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」(マタイ24・3)
今のクリスチャンは、ハル・リンゼイなどの偽預言者によって、これを「世界の終末預言」と信じるように洗脳された。
この文脈で見ると、マタイ25章における「羊と山羊を分ける審判」も、紀元1世紀に起こったと考える以外にはない。
事実、紀元70年に、ユダヤ人に刑罰が下り、最後の審判があった。
神殿は崩壊し、エルサレムに大虐殺があった。
その直前に御使いの啓示により、クリスチャンたちは、ペレアという場所に逃れた。
その後、彼らがどこに行ったのか不明だという。
さあ、ユダヤ系クリスチャン、原始キリスト教徒たちは、紀元70年以後、どこに行ったのだろうか。
考えていただきたい。
もし異邦人の中に散ったとすれば、それは、御国とは言えない。
なぜならば、聖書において「散らされる」ということは、「滅び」の象徴だからだ。
これにもかかわらず、なおもあなたがたが、わたしに聞かず、わたしに反抗して歩むなら、わたしは怒ってあなたがたに反抗して歩み、またわたしはあなたがたの罪に対して七倍も重くあなたがたを懲らしめよう。・・・
わたしはあなたがたを国々の間に散ら(す)。(レビ26・27,28, 33)
だから、紀元70年以降、本当にクリスチャンたちが救われたのであれば、彼らはまとまってある場所を与えられたはずである。
(もちろん、各地に宣教するために散った人々、ディアスポラのユダヤ人を中心に世界各地にクリスチャンがいたことを否定するものではない。)
紀元3世紀以前から、シルクロードにキリスト教国があった。
弓月国である。
秦氏は、ここにいた。
中国語では、名前は出身地を表すという。安という名前の人は、安息国(パルチア)の出身者だという。
となると、秦氏は、「大秦(ローマ)」の出身者である可能性は高い。
どうだろうか。当時パレスチナはローマ帝国の属州であった。
これは、秦氏の移動ルートを示していないだろうか。
パレスチナから、弓月国、そして、日本。
彼らは、紀元70年に救われたユダヤ人クリスチャンだったのではないだろうか。
これが事実だとすると、日本は、ローマ帝国の異邦人キリスト教(ローマ・カトリック)などを経由しないで直接に入った原始キリスト教徒が入った地ということになるだろう。