神道関係の発言に対する疑いについて
>私は、富井先生から得るものがいっぱいある
>なーと思いつつ、神社関係で、少しあやしんで
>いるというのが本心です。
>*失礼だったらごめんなさい。
神社関係で、私と同じような意見を主張している牧師は現在けっこういます。
これらの先生がたも、神社に行って拝めとか、神道を信じなさいとは言っておりません。
神道の起源をユダヤ教やキリスト教に求める試みは、けっして異端でも間違ったことではありません。
では、伺いますが、聖書のどの個所、教えと矛盾するのでしょうか。
むしろ、聖書は、「古代においてメシア待望論は世界中に広まっていた」と述べているのではないですか?
東方の博士がイエスの誕生の星を見て礼拝しに来た、と述べています。
当時、ユダヤにおいてメシアが誕生するという信仰が世界的に広まっていたことが聖書から推測可能であれば、各地の宗教とキリスト教やユダヤ教との関連を探るということは当然のことであって、間違ったこととはいえないのではないですか?
単に「今の歴史学や常識から見れば…」というならば、聖書的な態度とはいえません。
なぜならば、歴史学や常識は、「霊感された御言葉」ではないからです。私たちは、神の御言葉によって、歴史学や常識を評価し、判断する責任を与えられているのではないですか?
もし、この説明でも私の神道関係の記述に疑いがあるならば、それを説明していただけますか?
2004年4月28日
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