エルサレムに二度と神殿は建設されない


エルサレムに二度と神殿は建設されない。

もう一度建設されるならば、偶像礼拝になる。

なぜだろうか。

神殿礼拝のシステムは、犠牲制度と不可分である。

神殿だけが建設されて動物犠牲が行われないということはありえない。

行われないともし言うなら、じゃあ、作られた祭壇や洗盤を使って祭司は何をするのか?

祭壇に火をつけて、そこに何を焼くというのか?

動物を焼いたとすれば、じゃあ、「一度限りのものとして実現したイエス・キリストの犠牲」は何だったのか?パウロは、十字架の犠牲は、「一度限り」で「成就した」のであり「もはや繰り返されない」と述べているが、この聖書の言葉は無効になるのか?


ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、<ただ一度で>このことを<成し遂げられた>からです。(ヘブル7・27)

また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、<ただ一度>、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを<成し遂げられた>のです。(ヘブル9・12)

もしくは、動物を焼く儀式は「イエス・キリストを象徴するため」なのか?

私はそう思えない。

いいですか!プレ・ミレのみなさん!

イスラエルを建国した人々、つまり、ロスチャイルド家の人々(イスラエル最高裁の壁にロスチャイルドの名前が刻まれている)は、イエス・キリスト以外の救い主を待望しているのですよ!

彼らはナザレのイエスを救い主とは見ていない。

だから、彼らが神殿を建設するなら、それはイエスの象徴ではなく、「ガチで動物犠牲による礼拝」をしようとしている。

今のイスラエル政府は、マサダの要塞で殉死した人々を英雄としている。

つまり、最後まで武力によってローマに対抗しようとした人々の霊的子孫だ。

この武力革命論者は、イエスによって否定された。

「剣を取る者は、剣によって滅びる」と。

彼らは、武力解放してくれる存在としてイエスに期待していたが、それを行わないとわかったので、失望して十字架につけた。

彼らはパワー宗教の信者。つまり、カルト。

イエスを十字架につけた人々は、紀元70年の大審判の際に滅ぼされて、異邦人の中に散った。

その子孫なんです。ロスチャイルドは。

だから、今のイスラエル政府は、武力革命論者であり、イエスの犠牲をなんとも思っていない。

彼らが神殿を作るならば、絶対にイエスを象徴するためではない。そこでは、正真正銘の動物犠牲の礼拝が行われる。

となれば、最悪の背神行為になる。

神のひとり子の犠牲を無視したから。

エルサレムに神殿が建ったとしても、それは呪われる。必ず呪われる。

 

 

2009年10月26日

 

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