全共闘は生きていた


仙石やその同世代の他の国会議員の口から「それはまさしく現代の文化大革命だ」という言葉が出るのを聞いた。

こ「団塊の世代は、中国共産主義運動の総括ができていない」と感じる。

いまや中国人ですら文化大革命を否定しているというのに。

仙石は、全共闘だった。

東大法学部の在学中に司法試験に合格した秀才である。

それだけの頭脳の持ち主が、あの全共闘運動を総括できていない。

恐ろしいことである。

おそらく、オウム真理教と同じようにいったんあのカルトに入ると、それ以外のものが見えなくなるらしい。

現実を見よ!

全共闘世代は、あの運動を通して何を生んだか?ただ破壊しただけではないか。互いに血で血を洗う内ゲバ。赤軍派の国際テロ。

社会の中にあった世代間の信頼関係もずたずたにされた。

中国では、約1億人とも言われる粛清。ポルポトの大虐殺。

国内外で未曾有の災厄をもたらしたあの中国共産主義革命を正しく総括できていない!

私は、団塊の世代の直後の世代である。だから、少し離れた場所から眺めることができた。

今の世代のようにまったく別世界のことでもない。闘争の余韻を味わった。

大学の4年生のときに、友人に誘われて三里塚に行った(その人々が交換条件で教会に来るという約束のもと。その中の一人がクリスチャンになった)。

夜に合宿所に入り、一晩寝て翌朝ランニング。監視塔に登って気勢を上げる。

その後、延農作業。つまり、三里塚闘争を戦う農家の農作業を助ける。もちろん無給。

有機肥料を畑にまく。慣れない作業は体にきつかった。少し休んでいると、「何サボっている」と農家の人に怒られた。

夜、農家で夕食。翌日は、デモ。

公園に集結。いろんなセクトが集まっていた。その中で私の目を引いたのが、毛沢東派のグループ。全員同じ顔をしていた。ロボットのような、個性を完全に喪失した不気味な集団であった。カーキ色のヘルメットに赤い星がついていたことを覚えている。

それぞれ隊列を作って、山林を空港建設反対のシュプレヒコールを上げながら何キロか歩いた後に、再び集合。もうすっかり夜になっていた。その後、散会。帰宅の途についた。

一回だけの参加だったが、集団で同じ行動をすることの心地よさ、さらに、体を動かした後の達成感みたいなものがあった。

この集会に誘ってくれた人とは、その5年後街でばったり会った。もう運動はやっていないと言っていた。「目が覚めた」と。ノンポリに戻っていた。

彼らは全共闘世代の残りの民レムナントだった。

リーダーの多くは、今世間に自分の過去を知られることも恥ずかしがっている。

若気の至りと気づいたからだ。世の中を甘く見ていたと。当時有名だった英雄たちは、TVに顔を出すことを避けている。

私は彼らがカルトの洗脳から解放され、すっかり正気に戻ったと考えていた。

しかし、その認識は甘かった。仙石のような人間が生きていた。しかも、政権の中枢に。

若いころの中国共産主義革命への憧れを引きずって。

恐ろしいことだ。

 

 

2010年10月1日

 

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