妬みとかひがみを超越した本当に独立した人間になる以外に解放はない


(1)
宮崎の死刑、たしかに政府の正義への意思を示したという意味ではよかったが、遅くはないか。

何と事件から20年後だ。

20年も被害者家族を待たせるとは何ごとだろうか。

これは、日本の法律が「被害者中心」ではなく「国中心」にできているからなのだ。

国民不在の法律。

せっかく法律があっても、20年たってやっと刑が執行されるなんて。

執行時期が延びれば延びるほど、法律は形骸化する。

そんなに法廷で争う事件か?

宮崎が殺したのが明らかなのだから、被害者家族のこと、そして、日本国民のことを考えて、即時に実行してもよいではないか。

冤罪の恐れがある事件ではない場合には、裁判の期限を切る法律を作るべきではないか。

(2)
秋葉原事件の現場でニコニコ記念写真をとったり、TV中継の画面の中に笑顔で割り込む連中を見て、「共感能力の欠如」に背筋が凍った。

絶望と痛みに苦しむ人間を、自分の低劣な興味を満足させるための餌に変えられる神経。

どんなしつけをされてきたんだ。

男親なら、こんな息子娘の横面張り倒すべきだ。

苦しむ人とともに苦しむ、同情する、これは人間として持つべき最低限の資質である。

算数の足し算ができなくても、これができればよいとする程度の能力である。

(3)
加藤とか、歩行者天国など人が集まるにぎやかな通りで通り魔をやった人間に共通するのは「妬み」である。

「俺は負け組みで、孤独だ。あいつらは幸せそうに歩いてやがる。俺の不幸に巻き込んでやる」と。

何が不幸だ。

こんな恵まれた国に生まれて。

派遣労働で苦しい、自分の仕事が惨めに思える?

世界には日本で働きたくても働けない人が何十億人といるんだ。

日本に生まれた、日本国籍を持っているというだけで、世界では超のつくほどの勝ち組みなのだ。

こんな幸せに浴しているにもかかわらず、周りの人とのちょっとした差を気にして殺人したり自殺したり。

死後どんな過酷な清算をさせられるか考えたらよい。

(4)
「中学を出てから8年間ずっと負け組みだった」と加藤。

たった8年の負けかよ。

世界では、一生負け続けるやつがほとんどなんだ。

野球選手を見てみろ。イチローのような人間は野球人口の針の先だ。

あとはみんなどこかで挫折するんだ。

人と比較するからおかしくなる。

ヒューマニズム無神論教育は、相対主義者を育てる。

人と比べてどうのこうの、ちっぽけなことしか考えられないくだらない人間を作る。

実は20代までの私がそうだ。偏差値の数字が頭に精密に入っていた。

「あの大学のあの学部は偏差値○○だが、あそこはちょっと落ちて・・・」

そんなことばかり考えていた。

実際の世の中の仕組みと隔絶した本当に異質な世界の中にいた。

解放されたのは、聖書の価値体系を受け入れてからだ。

楽になった。非常に楽になった。

他人の価値観に振り回されなくなった。

いじめにしろ、加藤のような通り魔殺人にしろ、根本的な治療は、ヒューマニズムの相対主義教育を捨てることだ。

神と自分の関係にあわせて、それまでの価値観をすべてシャッフルし、リストラする。

妬みとかひがみを超越した本当に独立した人間になる以外に解放はない。

 

 

2008年6月18日

 

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