なぜあなたの子供をホームスクーリングで教育すべきか?4 あなたの子供をホームスクーリングで教育すべき10の理由 リー・ダイガン 2006年9月6日 子供の教育にとって相応しい場所は、家庭であり、相応しい教師とはその両親である。 これまでの内容から、公立学校が自分の子供の教育にとって相応しくない場所であるということがご理解いただけたと思う。私は、多数の非常に納得のいく理由を示した。しかし、同じくらい強力な理由により、家庭が教育にとって相応しい場所であるということも明らかなのである。本論では、その理由について説明し、それに続く文章においてさらに新しい説明を加えたい。 神的方法による教育 1.ホームスクーリングは、聖書において提供されている唯一の教育モデルである。 R・J・ラッシュドゥーニーはこう言った。 「今年(1981年)の前半に、私は、自分の子供を、州の統制に従うことを拒否するクリスチャンスクールに入れたために裁判にかけられた幾人かの父親のために証言台に立った。彼らに対する訴えは、刑事告発であった。州の検事総長は、彼らの妻たちを免訴した。彼女たちは、当時証言台に立たせられ、自分の夫に不利な証言をするように強制され、裁判で恥をかかせられていた。・・・聖書律法によれば、家庭を危機に陥れることは、社会の基礎的制度を危機に陥れることにほかならない。」(R. J. Rushdoony, Roots of Reconstruction (Vallecito, CA: Ross
House Books, 1991), 111-112.)1 ホームスクーリング運動の初期に、ラッシュドゥーニーは、このような多くの裁判において証言台に立った。感謝なことに、こういった裁判はほとんどなくなった。ホームスクーリングを始める家庭が増えれば増えるほど、反対運動は激しさを失い、圧力は消えていった。他方、ホームスクーリング法的防衛協会(hslda.org)のような法的団体は、ホームスクーラーの権利を守るために活動を始めた。ホームスクーリングに好意的な地域もあれば、それほどでもない地域もあった。ホームスクーリングを始める前に、自分の州でどのような条件があるかを確認しておくべきである。州ごとの情報は、HSLDAのウェブサイトにおいて無料で公開されている。 ラッシュドゥーニーの主張は聖書的である。神の御心において、両親には自分の子供を教育する責任がある。これは聖書の多くの個所から明らかである。「民をわたしのもとに集めよ。わたしは彼らにわたしのことばを聞かせよう。それによって彼らが・・・わたしを恐れることを学び、また彼らがその子どもたちに教えることができるように。」(申命記4・10) 「あなたがたは、私のこのことばを心とたましいに刻みつけ、それをしるしとして手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。それをあなたがたの子どもたちに教えなさい。」(申命記11:18-19) このことはいくら強調してもしすぎるということがない。すなわち、聖書において、教育は、家族の文脈の中で行われるべきものである。子供の教育に政府が関与することを示す個所は聖書の中に一つもない。公教育がはじめて誕生したのは、わずか200年前のことであり、2000年もの間、文明は公教育なしでやってきたのである。 このリストの残りの部分から明らかなように、教育を神的方法で行うことは、家族に多くの利益をもたらす。 2.ホームスクーリングは、家族の絆を深め、自然と、両親は時間とエネルギーを子供達のために費やすことになる。 これ以外の方法でどうやって家族の絆を深めることができるのだろうか。不幸なことに、ほとんどのアメリカ人は、子供を車に乗せ、毎朝公立学校に送り届け、その子のことを他の子と比べて特別に大切な存在であると考えていない他人に教育を委ねるのである。その後、子供達は、サッカー、リトル・リーグ、体操などの放課後プログラムにおいて、フルタイムの仕事をし、夜はTVの前でゆっくりすることしか頭にない疲れきった両親と参加する。 私たちは、どのくらい多くの公共広告がラジオで「あなたが子供に与えることのできる最も重要なものは、時間です。」と言うのを聞いているだろうか。世俗のメディアですら、子供と時間を共有しない子育てが失敗することを知っている。 ホームスクーリングにおいて、すべての時間が「良質の時間」である。それは、公立学校と共働き世帯が登場するまで、千年の間家族が当然のことと考えていた愛と絆の姿なのである。 良質の教育 3.
我々には、子供の教育を神中心に行う自由がある 公立学校において神中心の教育を期待することはまったくできない。公立学校では、神は、体系的にカリキュラムの中から排除されている。 家庭において、我々は自分の子供に、「神こそ宇宙の中心であり、創造者であり、唯一の所有者であられる」と教えることができる。この観点から公民や政治を教えることが、どれほどの違いを生むか考えてみて欲しい!政府がどのように機能しているのかを教えることができるだけではなく、神は政府に対してどのように機能することを期待しておられるか、ということについても教えることができるのである。植物は光合成により、日光をどのように生命エネルギーに変えるのかを教えることができるだけではなく、そのシステムが偶然によって誕生したと教えなくてもすむのである。どちらの場合でも、観察される事実は同じである。異なるのは、視点である。つまり、神の視点から見るのか、それとも、ヒューマニストの視点から見るのか、という違いである。 4. ホームスクーリングは両親にとっても祝福である。あなたはホームスクーリングを通じて多くのことを学ぶことができる。 子供に教えるには、代数から動物学まで、まずあなた自身が学ばねばならないだろう。その多くはすでに知識として持っているかもしれないが、新しい教材を使う場合にはそれについて調べる必要があるだろう。教える作業を通じてあなた自身も多くを学ぶことができるだろう。 このようなことを聞いて脅かされているように感じるかもしれないが、今ホームスクーリング向け教材の市場は急速に拡大しており、それらのほとんどはインターネットを通じて簡単にしかも比較的安価に利用できるということをお忘れなく。自分の能力では及ばない特殊な科目についても、オンラインの教材が用意されている。 武道スクールの上級生が新入りの生徒を教えるよう求められているのには理由がある。 たしかにこれによって常勤の指導者の負担が減るが、しかし、もっと重要なことは、上級生の訓練にもなるということである。 5. ホームスクーリングは常に柔軟である 柔軟性――つまり、個々の生徒の能力と興味に沿った指導――は、一クラス20から30人の公立学校が持っていない贅沢である。 たとえば、子供が算数が苦手なら、あなたは親として、数を教える最善の方法を見つけてあげられる立場にいる。子供のころ、私は、学校において、数列を加算する方法をどうしても理解できなかったが、家に帰って父に聞いたら一発で理解できた。彼は資格のある先生ではなかったが、息子の理解の仕方が分かっていた。 派生的な利益 6. あなたは子供の「社会化」に責任を持つだろう 公立学校の年長の子供たちに最大の影響を与えるのは、同級生であり、同年齢のグループの子供たちである。しかし、ホームスクーリングの子供たちは、大人や、自分よりも年長や年少の子供達、そして、あなたが接触させたいと思う人々と接触する。 あなたは、自分の子供がある集団に適応するようにその行動を変えることを望むだろうか。もしそうなら、彼を公立学校に送りなさい。そして、悪い集団に適応するように彼が行動を変えることを望むようになったとしても、我々に不満を言わないで欲しい。 このような問題がホームスクーリングの家庭に起こることは、まずないだろう。 7. 子供の間で流行っている服や映画、ビデオゲーム等を購入する必要がないので、お金を節約できる。・・・ 子供の流行のファッションに付き合いたくないならば、子供達をホームスクーリングで家に留めておきなさい。公立学校は、学生の間で誰がススンでいるかを競う場になっており、それは、倹約の習慣を養う場所でも、独立した思考を身に付けさせる場でも、物事の真の価値を教える場でもない。しかし、ホームスクーリングでは、子供達の仲間から邪魔されることなく、これらのことを子供に教えることができる。 8. 同時に、あなたも倹約の習慣を身に付けることができる。 ホームスクーリングはそれ自身では高くつくものではないが、共働きの生活スタイルを捨てることを意味する。そのため、あなたは、おそらく、毎年車を買い換えたり、プラズマTVや他のぜいたく品を買ったりすることを止めなければならなくなるかもしれない。そして、クレジット・カードの負債を急激に増やさない方法を身につけ、家族のために料理を研究しなければならなくなるかもしれない。 しかし、これらはぜひとも身につけるべきことである。なくても困らない物のためにどうして自分の汗水流して得たお金を浪費する必要があるのだろうか?無数のビデオ・ゲームに大枚を叩かなくても、同じくらい面白いチェスとかチェッカーとかモノポリーなどのゲームを子供といっしょにできるだろう。整備をよくしておけば、5年車でも新車と同じくらいの働きはしてくれるだろう。 9. このような責任を負うことによって、あなたはさらに責任ある人間になり、それは、あなたの他のすべての活動にプラスの影響を及ぼすだろう。 自らの手で良質の教育を子供に施すことは、あなたにとって誇りにすべきことである。ホームスクーリングと聞くと、「私にはできない!」と思われるかもしれない。しかし、じきに、自分でもできることに気づき、しかも、うまくできることが分かるだろう。あなたはそれを通じて自信を高めるべきである。自分の子供を教育することができるようになれば、他のことも同じようにできるようになるだろう。ホームスクーリングは、親にとっても素晴らしい教育なのである。 10. ホームスクーリングを通じて、子供に強い宗教的・倫理的・知的土台を築いてあげることができる。 今日のアメリカの文化的状況下において、これらは彼らにとって必要不可欠である。もちろん、子供が将来、人生において正しい道を見失うことがないということが保証されている親は誰もいない。しかし、神の御心にかなった教育を行うことによって、そのような可能性を少なくすることが可能なのである。「子供をその行く道にふさわしく訓練せよ。そうすれば、年老いてもそこから離れない。」(箴言22・6)。たとえ道を踏み外したとしても、再びそこに帰る確率は高くなる。 ホームスクーリングの多くの部分は自己教育である。学び方を習得した子供は、公立学校のカリキュラムを一方的に詰め込まれた子供よりもはるかに優位な立場に立つことができるだろう。 私たちは、「あらゆる祝福の源泉である主を賛美します」と何度も歌ってきたが、歌詞の意味を文字通り信じることはなかった。神に服従する時に、神は私たちを祝福してくださるのだ。 「ホームスクーリングを行うと、子供達は本流から取り残されるのではないだろうか。人々は彼らのことを特殊な人々と見るのではないだろうか。」と疑う親はあまりにも多い。しかし、ホームスクーリングを実践する人々の数は日に日に増えている。あなたの郡にも教会が後援する「ホームスクーリング家族協会」のような組織があるだろう。もしなかったとしても、現在、インターネットを通じてホームスクーラーが全国レベルで団結しているので、なんらかの方法でたくさんの仲間を作ることができるだろうし、倫理面での支援を得られるだろう。孤立を恐れる必要はまったくない。 今日、子育ての時期に子供といっしょの時間を取りすぎたことを悔やんでいる親がいるだろうか。聖書の教えに従ったために悪い結果を招いた経験のある人がいるだろうか。 もちろん、ノーだ。 [1] R. J. Rushdoony, Roots of Reconstruction (Vallecito, CA: Ross House Books, 1991), 111-112. 強調は筆者による。 リー・ダイガン(Lee Duigon)は、フリーランスのライターであり、新聞紙の編集員及びレポーター、小説家。カルケドン・レポートの編集員でもある。 This translation was conducted by the permission of Chalcedon. millnm@path.ne.jp |