われわれは戦場のただ中にいる


教会は、キリスト教を礼拝と混同している。礼拝のセンターでしかない教会は、不毛の場所である。教会は、神の軍隊の訓練センターであり兵舎でなければならない。クリスチャンは、自分たちを取り巻く生活の諸領域において支配を実行するために、そこで訓練を受けなければならない。―R・J・ラッシュドゥーニー
In His Service, p. 161.

ミレニアムの読者の中で教育事業を行っている兄弟姉妹がおられる。

熾烈な戦いである。

悪魔からの攻撃をたえず受ける。

彼らは、祈りに「呪い」が多いのを批判されている。

私の祈りにも呪いが多い。

なぜか。

戦っているからだ!!!

敵を倒すことに躊躇しているのは、戦っていないからだ。

「クリスチャンは敵をも愛するのでは?」

たしかにそうだ。自分を攻撃する敵も悔い改めて神を信じるように祈るべきだ。

しかし、「万事承知の上で攻撃する敵は別」である。

律法では、敵とはまず和解の機会を与えよ、それで和解を拒むならば攻撃せよ、とある。

この地上に、神のライバルは存在できない。

神はいずれサタンを完全に地上から除き去られる。

無知のゆえに敵対している人々はあわれみに値するが、万事承知の上で敵対しているのはこちらを滅ぼそうとする敵であるから和解は不可能。

戦いによって結着をつけるしかない。

その場合、相手側の滅亡を祈願すべきである。

バチカン天文台の新しい光学天文望遠鏡の名前は、「ルシファー」である。

https://seeker401.wordpress.com/2010/04/28/vatican-tied-mount-graham-observatory-launches-lucifer-telescope/

ローマ・カトリックを中心とする宗教統合とは、ルシファー礼拝への計画であり、彼らに対して気を許すことは、自分もルシファー礼拝に引き込まれることを意味する。

戦うしかない相手との和解の申し出は、相手の策略である。

こちらが隙を見せた瞬間に襲ってくるだろう。

われわれは、こういう戦いの中に置かれているのだ。

遊びではない。

小野寺まさる「北海道の人口を倍増させる計画が国交省と北海道開発局が出したが中身は『中国人で倍増』させるとあり得ない案!そんな状況で住民投票権を与えたら北海道はひっくり返ってしまう!それを国が言ったのは危機感がない証拠!」
中国人で人口倍増すべきという国交省の考えが理解不能
https://twitter.com/take_off_dress/status/900568563156516864

半分が中国人になったら、乗っ取られたも同然。

国交省は敵の回し者である。

中国は国交省を支配している。

われわれが「戦争はいやだ」「戦争を放棄する」といくら叫んでも、相手はどんどんやってくる。

武力には武力で返すしかない。

いい加減、目を覚ますべきだ。

 

 

2017年8月25日



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