クリスチャンに与えられた祝福が世界をも祝福してきたことを認めるべきである
1.
復活には二種類ある。
契約的復活と実際的復活である。
われわれクリスチャンは、契約的復活に与った者たちである。
われわれがこの世界に働きかけ、われわれが統治する領域を神と和解させるにつれて、世界も契約的に復活する。
たとえば、反キリスト的なニュースを流す出版社を経営していた人がクリスチャンになって、神の栄光と救いを広める書籍を出版し始めるならば、彼は、出版業を通じて世界を復活させることになる。
エデンの園にいるわれわれのところに流れてくる祝福の水を、世界に流し、乾いた土地を潤し、そこに命が芽生えるならば、世界は復活しつつある。
しかし、この復活は、契約的であって、本格的・実際的な復活とは言えない。
歴史の終わりに第二の復活が起きる。
そのときに、世界は実際的に復活する。
キリストにある万人に「御霊のからだ」が与えられ、われわれがなした業績は「永遠に朽ちることのない相続」となる。
契約的復活は「三日目の復活」であり、実際的復活は「七日目の復活」である。
清めは2段階で行われ、三日目の清めと、七日目の清めがある。
その者は三日目と七日目に、汚れをきよめる水で罪の身をきよめ、きよくならなければならない。三日目と七日目に罪の身をきよめないなら、きよくなることはできない。
身のきよい人が、それを汚れた者に三日目と七日目に振りかければ、その者は七日目に、罪をきよめられる。その者は、衣服を洗い、水を浴びる。その者は夕方にはきよくなる。
あなたがたは七日間、宿営の外にとどまれ。あなたがたでも、あなたがたの捕虜でも、人を殺した者、あるいは刺し殺された者に触れた者はだれでも、三日目と七日目に罪の身をきよめなければならない。(民数記19・12、19、31・19)
キリストの復活は決定的な復活であり、三日目の第一の復活である。われわれは、契約的バプテスマによってキリストの復活に参加し、その結果、今「新しい命のうちを歩んでいる」(ローマ6・4)。
われわれが自らの罪のうちに死んでいたとき、神は「われわれをキリストともに生かし、・・・彼とともによみがえらせ、キリスト・イエスにあって天の場所に座らせ給うた」(エペ2・5-6、参照コロサイ3・1)。
歴史の終わりに起きる「七日目の」復活を保証し、それによって完成するのは、この三日目の、歴史の半ばにおいて起きた決定的な復活なのである。キリストにあるバプテスマを受け、キリストの復活と同じような形で彼と結び合わされた人々(ローマ6・4-14)は、最終的な復活においてもキリストと合同することになる(ローマ8:11)。
(David Chilton, THE DAYS OF VENGEANCE: An Exposition of the Book of Revelation, pp.517-518.)
https://www.preteristarchive.com/Books/pdf/1987_chilton_days-of-vengeance.pdf
聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。(エペ1・14)
2018年12月14日
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