残りの民は審判に備えよ


(1)


「浮気は「悪」と当然のように考えられているけど、本当にそうなんでしょうか?国が一夫一婦制を作ったのは、…国民全般に満遍なくパートナーができるようにするためだよ。配給制と同じ。…社会主義経済みたいなもんだね」(橋下徹 「まっとう勝負」(小学館))

ホリエモンとか橋下とか、次々現れる似非リーダーの特徴は、まともな道徳観が欠落していること。

キリスト教が2000年かけて築き上げてきた社会倫理がある。

社会を成立させるのに役立ってきた倫理、文明を成立させられる倫理、人間が文明人として生きられるための倫理。

こういうものを、大切にするのが本当のリーダー。

簡単に捨ててしまうのが、似非リーダー。

なぜ今、似非リーダーしか現れなくなったかというと、進化論に基づく無神論ヒューマニズムが浸透して、上記のような倫理を支えるキリスト教思想がすっかり廃棄されたから。

つまり、エデンの園においてエバがサタンの誘惑に負けたように、現代人は、「自分で道徳を作りなさい」という誘惑の声に負けた。

道徳を変えてしまったので、もはや悔い改めが成立しない。

「悔い改める必要なんてないよ。だって、不倫をして悪いという規則なんてないんだから」と。

いくらこんなことを主張していも、人間は神の被造物だから責任は残る。

だから、自分の行いに応じて神は裁かれる。

何年か前、芸人が未成年とわいせつ行為を行って、TVの画面から消えた。

その後も復活が噂されたが実現していない。

この芸人、番組収録中にも出演者に対してセクハラ行為をしていた。

つまり、自分の生き方に反省がまったくなかったということ。

こういう傲慢な確信犯に対して神は厳しい処罰を下される。

「俺は、神なんか信じないから、堂々と不倫をするぞ」と言っているような奴らは、憐みなく、ストレートに裁きが下る。

社会的な抹殺。家庭崩壊。仕事を失う。経済的な破滅。

マスコミをにぎわせた連中で、こういう普通の道徳にまっこうから挑戦する人間の寿命が短いのに気づくだろう。

橋下なんかに期待はできない。

こういう人間に国政を任せたら大変なことになる。

(2)

幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。
まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。(詩篇1篇)

「悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった」

確信犯の罪人が出来上がるまでに3段階ある。

1.悪者のはかりごとに歩む

「はかりごと」つまり「計画」とか「陰謀」。

悪者の計画に乗ろうとすること。悪者の思想を受け入れ、そのカウンセリングに同意し、その計画に参加しようとすること。

2.悪者の道に立つ

計画に乗って、悪者の道に向かて歩きはじめた罪人は、ついに悪者の道に立つ。

その道は悪事につながっている。進めば進むほど悪の程度が増す。

サタンが用意した道。

3.あざける者の座に着く

悪事が深まるにつれて、悪を悪と認識できなくなる。

神が罪人の悪事を放置されると、罪人は「罪を犯しても何も起こらないじゃないか」といってどんどん罪の意識がなくなる。

そしてついには「あざける」ようになる。

神の法や道徳を説く人々、クリスチャン、まっとうな生活をしている人々の忠告をあざけるようになる。

ここまで来ると、もう引き返すことは不可能。

なぜならば、悔い改める気持ちがまったくないから。

神に見捨てられた人は、最終的に「善を馬鹿にするようになる」。

「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」

このような罪人とは違って、悪者のカウンセリングに乗らず、悪者の道に入らず、あざけることをしない人は、神の言葉を喜ぶ。

だから、水路のそばに植わった木のように繁栄する。

水路は複数形が使われているので、複数の水路の交差点に生えている樹木のように、絶えず水分が補給されるので、「時が来ると実がなり、その葉は枯れない」。

つまり、時間がたてば、普通に期待どおりに結果が現れる。

「悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。」

悪を避ける人、神の言葉を喜ぶ人は、水分にあふれ生き生きとしているが、悪人は「もみがら」である。水分が抜けている。軽い。

ちょっとした困難に負けて「吹き飛ばされる」。

罪人は、神の審判の場に立てない。すぐに崩れ落ちる。神の裁きが下ると、必ず滅亡する。

罪人は、正しい者の集会に立てない。善人の集まりに加わることができない。後ろめたい気持ちが出てくるので、拒絶反応が起きる。

「まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。」

正しい者は、神によって覚えられており、試練の中でも守られるが、悪者には守りがない。

だから、いずれ滅び去る。

必ず隠れた計画は暴露され、その犯した罪に応じて裁きが下る。

(3)
次から次へと、まるでオートメーションのラインのように、腐った「リーダー」が現れる日本。

戦後の教育が不良品の大量生産工場であったことの証明だ。

先日のいじめ問題に見えるように、日本には、倫理が欠如した、カオスの住民たちしか残っていない。

残りの民は、審判に備えよ。

われわれだけは、神の道にとどまって、滅亡を回避しよう。

 

 

2012年7月22日

 

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