慰安婦の米軍プロパガンダ写真





<tomi>
右の妊婦の写真は米国人が写っているので、戦後のものでしょう。

<A>
1944年9月3日、・雲南・北ビルマ・拉孟にて撮影された写真です。大変有名な写真。ちょっとでも歴史写真を検証した人ならだれでも知ってる基本中の基本写真。

<tomi>
”1944年9月3日 松山にて  撮影:アメリカ軍写真部隊拉孟(中国では「臘猛」)近郊の松山陣地にて、「中国弟8軍の兵士によって捕虜にされた4人の日本人女性」と書かれている”
http://naominanami.blog.fc2.com/blog-entry-1495.html
「中国弟8軍の兵士によって捕虜にされ」「アメリカ軍写真部隊」が撮影した写真がねつ造されたものでないという証拠はどこにもありません。
本当にこの写真が現地で撮られたかどうしてわかるのですか。
この女性たちの身元がわかる補強証拠はどこにありますか。

<A>
ナショナル・アーカイブスに保存されている以上、その記録が正しいと考えるのは当然だと思います。ちなみに当時の朝鮮半島の人達は日本国籍でした。信じられないという根拠はあなた自身の考えであり、米側の記録が信じられないというのであれば、それこそ根拠無しと言えます、というより、ナショナル・アーカイブをご存じないのでは?そもそも女性たちの身元の確認がいつから重要になったのでしょうか?そもそも写真が戦後のモノと断言した話はどこから出たのでしょうか?その話がどうして女性の身元に発展するのですか?

<tomi>
敵国のアーカイブにあるから正しいとか、お人よしすぎて笑いが止まらない。

同じビルマ地区での米軍の調書では慰安婦はかなりいい生活をしていた。蓄音機を所有していた。月収750円であった(日本の首相クラスの給料)。軍人の運動会やピクニックに参加していた。とありますよね。(Wikipedia―日本人戦争捕虜尋問レポート_No.49)

それが、どうしてこんな薄汚い姿になるんですか?
それから、当時の日本軍の規定では性病感染からもコンドーム着用は義務であったのに、なぜ妊婦が写っている?

これは戦後に取られたプロパガンダ写真でしょう。いかにも日本兵に虐待されてひどい目にあっていたと示すための。米軍は中国軍といっしょになって謀略宣伝をさかんに行っていた。米国がアルカイダに宣伝工作の方法を教えていたというのが事実なように、中国にも教えていた。その成果でしょうね。

アーカイブにあるからプロパガンダ写真ではない、とか、それを検証とか。。。だから、日本人はずっと騙されてきたんでしょう。あなたを見ると、そうとしか思えない。www

 

 

2016年10月18日



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