敵の攻撃は激しい2


家の網戸に穴が開いていると、虫が入ることがある。

以前、網戸が少しずれており、ちょっとした隙間が開いているのに気付いていたが無視した。

ある日、ヤスデが外に置いてある洗濯機の下に入るのを見た。

それも気にしなかった。

しかし、後日一匹のヤスデが部屋の中を這っていてびっくりした。

あの時見たやつだ、と思った。

悪魔とはこのようなものである。

完全に隙間を塞がないと、入ってくる。

心の中に入って、われわれの精神をかき乱す。

もしくは、われわれを困らせるようなことをする。

ある友人と車に乗っているときに、彼が一時停止をきちんと止まらずに進んだ。

「危ないですよ」と注意した。「大丈夫、大丈夫」みたいな返事が返ってきた。

しかし、彼は後日電話であの場所で事故をやったと言った。

われわれの場合、常に隙を狙う敵がいるのである。

普通の人と違う。

「聖書をいい加減に解釈してもいい」と考えているならば、そこが隙になる。

勝手な解釈、文脈に基づかない解釈、間違った神学。疑い。

こういう穴からサタンが入る。

穴から侵入した一匹は、その穴を拡大し、ついに城壁が全部壊される。


自分の心を制することができない人は、城壁のない、打ちこわされた町のようだ。(箴言25・28)

サタンが自由に出入りして、自分の心の中の大切なものを全部破壊する。

不道徳なことを何度も犯しているうちに、その人の城壁は全部破壊されてしまう。

至聖所まで乗っ取られると、恐ろしい犯罪を犯すようになる。

自分の意思と関係なく行動する。

どうして「かつて聖書信仰のために戦っていた人」が後に信仰の敵になるのか。

マルクスはかつてクリスチャンだった。このように語っていた。

我々は、キリストの愛を通して、同時に我々の兄弟に心を向けるのである。兄弟たちは、心において我々とつながっている。キリストはご自身を兄弟たちに犠牲としてお与えになったのである。

キリストと結び合わされることによって、我々の魂は高揚し、慰められ、平穏な確信を与えられる。また、隣人愛やあらゆる高貴で偉大なものに順応することができるようになる。しかも、それは、野心や栄光のためではなくもっぱらキリストのためである。
(Karl Marx, Die Vereinigung der Glaubigen mit Christo, Werke(MEW), Supplement, I, p. 600; cited by Richard Wurmbrand, Marx & Satan, (Westchester, Illinois,Crossway Books, 1987),p.11.)

キリスト教が教えているのは、「万人が目指すところの『理想』は、人類のためにご自身を犠牲にされた」ということである。一体誰がこの教えに言い逆らうことができようか。彼のために最善を尽くすことのできる職業を選択する者は、数々の重荷によってつぶされてしまうことは絶対にない。というのも、それらの重荷は、万人のために捧げられた犠牲以外の何物でもないからだ。(同)

しかしある日、不思議な出来事が起きて心の至聖所を破壊される。

垂れ幕が落ち、私の至聖所はめちゃめちゃに破壊されました。私は、そこに新しい神々を据えねばなりませんでした。
(Karl Marx, letter of November 10, 1837 to his father, MEW, XXX, p. 218. cited in ibid., p.20.)

サタンに憑依された彼は、もはや自分が自分ではなくなった。

マルクスの友人であり、協力者であったフリードリヒ・エンゲルスが最初にマルクスと会ったときの印象:

…トリア出身の黒い人、驚異の怪物。彼は歩きもせず、走りもしない。彼は、飛び跳ね、怒り狂う。あたかも、天蓋をつかんで、それを地上に投げ捨てんばかりだ。彼は腕を伸ばす。邪悪なこぶしをしっかり握りしめ、絶えず怒りののしる。まるで無数の悪魔が彼の髪をつかんでいるかのようだ。
(Franz Mehring, Karl Marx--Geschichte seines Lebens (Berlin: Dietz-Verlag, 1964), pp. 99, 100; cited in ibid., p. 36.)

少しの隙でも注意しなければならない。

信仰の大盾を取って、常に警戒をしなければならない。

 

 

2014年4月11日



ツイート

 

 ホーム

 



robcorp@millnm.net