成功を持続させるには2
義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。
あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。
心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5・6-9)
(1)
「義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。」
契約の民の特徴は、「義への渇望」である。
それは自分自身に関してだけではなく、社会的正義への渇望でもある。
「社会がどうなろうと関係ない。クリスチャンは世がどんなに堕落しても、気にかける必要はない。再臨が来ればすべて解決するから」という教えが間違いであると分かるだろう。
本当のクリスチャンは、社会的正義が実現しないことにフラストレーションを感じる。
そして、それが実現するために戦う。
社会が、ますます汚れて、違法行為が堂々と行われるような時代に、社会問題に無関心なクリスチャンなどいるはずがない。
クリスチャンとは、「義が不足することにたえられない」。
空気がなくなると苦しくなるように、個人的にも社会的にも正義が足りなくなると苦しくなる。
砂漠を歩く人々が、わずかな水を渇望するように、クリスチャンは義を渇望する。
しかし、その渇望は必ず満たされる。
「その人は満ち足りるからです。」
義に対する渇望と努力は必ず報われる。
「社会を変える?やっても無駄だ」との言葉はサタンからくる。
サタンは、この世界を不義で満たしたいのである。
神が創造された世界を破壊し、不正と不義によって人々を虐待し、奴隷にしたがっている。
だから、それと戦うクリスチャンに嘘を吹き込んでやる気を奪うのである。
「世界を正義にあふれるために活動する?再臨まで無駄だ。なぜならば、この世界はサタンの世界だから。」と今のファンダメンタリストたちはつぶやく。
今の世界はサタンの世界ではない。
十字架と復活、昇天を通じて、キリストは世界の王になられた。
だから、義への飢え渇きは必ず満たされる。
キリストが王であり、主権者なので、われわれの活動は必ず実を結ぶ。
この世界が進化論の言うように、無神論の言うように、神も仏もない世界であるならば、努力は無になるかもしれない。
しかし、キリストが世界の支配者である以上、われわれの活動には必ず結果がついてくる。
問題は、忍耐力だ。
結果が出ない長い時間を忍耐して乗り切れるかどうか。
あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。(ヘブル10・36)
「義への渇望は満たされる」のであるから、われわれに必要なのは「忍耐」だけである。
(2)
「あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。」
われわれは他人にしたことは必ず自分に返ってくると知っている。
他人に冷たい人は、必ず人から冷たくされる。
やさしい人は、やさしく振る舞われる。
正義を求めるためではなく、別の目的で人の罪を攻撃することに情熱を燃やしている人はいずれ自分も同じように攻撃される。
残酷な人は、残酷なことをされる。
人を馬鹿にする人は、馬鹿にされる。
こういう体験を何度経ても悟らない人を聖書で愚か者という。
「情けは人のためならず」のことわざがあることからわかるように、ノンクリスチャンでも賢い人には悟りがある。
クリスチャンは、普通の人より、祝福を百倍、のろいを7倍激しく受ける。
イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。(創世記26・12)
わたしもまた、あなたがたに反抗して歩もう。わたしはまた、あなたがたの罪に対して七倍も重くあなたがたを打とう。(レビ26・24)
だから、自分が他人にした行為が自分に返ってくることを誰よりも理解しているはずである。
過労死するほど従業員をこき使って十分な報いを与えない最近の無律法な経営者は、同じことを将来自分もされるということに気づいていない。
本当におろかである。
(3)
「心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。」
神はわれわれの心に応じてご自身を啓示される。
だから、心がきよいほど、御心がわかるようになり、邪悪になるほどわからなくなる。
邪悪な人は、神を完全に見失っている。
だから、恐れを知らない。
神を恐れずに罪を犯して、突然破局がやってくる。
われわれは、心を清めようとしているから、突然破局がやってくることはない。
心の中の罪は、眼鏡のレンズについた汚れである。
心において罪を犯せば犯すほどレンズは汚れで曇ってくる。
罪から完全に自由になることは、レンズに一点の汚れもない状態である。
だから、神と御心が見えるようになる。
なぜ人々はくだらない詐欺話にひっかかるのか。
ねずみ講とか投資詐欺とか。
欲によってレンズが曇るからである。
なぜあの危険極まりない中国や韓国などに投資するのか。
賢い人は、ヤオハン事件で中国が投資企業にどのような報いかたをするか気づいている。
罪を犯し過ぎること、それによって、心を汚すことの結果は、神を見失い、御心を見失うことである。
そして、それは、馬鹿みたいに幼稚な詐欺に騙されることを意味する。
われわれは心の清い人と付き合うべきだ。それが一番安全な道だ。
(4)
「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」
平和を求め、そのために活動する人々は、神の子と呼ばれる。
逆に言えば、戦争を求め、そのために活動する人々は、サタンの子と呼ばれる。
もともと数百年の間、日本人は他国と戦争しなかった。
ペリーの開国以来、戦争に巻き込まれて、戦後、ずっと敗戦国の汚名を着せられてきた。
天皇陛下も政府指導部も戦争を望んでいなかったのになぜ中国に進出したのか。
共産主義者尾崎秀実が「日本を中国と戦わせる」との計画をもとに近衛を動かしたからだ。
日中戦争の目的は、中国共産党による政権樹立のためであった。
毛沢東は社会党の代表団に対して「戦争について謝罪する必要はありません。日本のおかげでわれわれは中国を支配できるようになった」と言った。
中国は孫文の市民革命どまりであれば幸せだった。
しかし、共産主義者、イルミナティの目的は、そんなところにはなかった。
彼らは、国家による国民に対する徹底的な略奪と殺人を求めていた。
そのためには、国民党が邪魔だった。国民党をつぶすために日本が利用された。
日本の中国侵略は、このように「やりたくない戦争」だった。
戦争を求める人々の背後にはサタンがいる。
だから、戦争を起こそうとするイルミナティの人々は、サタンの子なのである。
われわれは、できるだけ戦争を起こさないように努力する。
ただし、それは絶対平和主義を意味しない。
抑止効果のために軍隊を持つことを奨励し、侵略された場合には戦争をも辞さぬ構えを持てと主張する。
国においても、外科手術が必要な場合がある。
放置すれば、病巣はどんどん広がって命そのものが脅かされるようになる。
戦争は必要悪だ。
われわれは、可能な限りすべての人と調和と平和を保つべきだ。
争いごとを避けよ。
2012年10月3日
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