クリスチャンは死なない


父親が亡くなる前年、帰郷して東京に帰る際に、玄関で別れの挨拶をし、「また正月に帰るから」と言って外に出たのだが、父親が外に停めてあった車のところまでわざわざ降りてきた。

それも少し慌てているようなそぶりだった。

「玄関でいいから」と言っても聞かなかった。

そして、私が車のウィンドウを開けて一礼すると、脇に立った父はいつもより深いお辞儀をした。

こちらを見る笑顔は、うっすらと清らかな光を放っていた。

「なぜだろう、こんなに丁寧に。普段は、軽くうなずく程度なのに」と思った。

翌年の正月には仕事が入って帰郷できなかった。

諸事情で忙しくしている中、5月に妹から一本の電話があった。

食卓で倒れたという。

「もうだめかもしれない」と。

教会の礼拝から帰って、ちょうど結婚記念日だったのでアイスクリームを2人で食べていたときだった。

「うっ」と言って、そのまま前に伏して机にもたれたまま動かなくなった。

大動脈瘤破裂で即死であった。

「ああ、あれが最後の別れだったのか」と理解した。

すごく改まった姿勢で深く礼をしたのは、神の導きを感じていたからかもしれない。

こちらも、いつもより深くお辞儀をした。

父親は、陸軍の士官候補生のときに終戦を迎えた。

その後、故郷の山形に帰って師範学校を出てから、山形の貧しい山村の学校で教師として子供たちを教えていた。

『山びこ学校』の著者無着成恭は、当時の同僚であり親友であった。

子供好きで明るい性格だったので、赴任先のどの学校でも人気があった。

北海道に移住してから南部バプテスト系のアメリカ人の宣教師の教会で信仰を持った。

南部バプテストであるから、終末論はプレ・ミレである。

私の再建主義の考え方を受け入れなかった。

「この世は変わらない。努力しても無駄だ」「政治について語るのをやめろ」と。

しかし、晩年はすっかり変わって、私の立場を認めていた。

葬儀のときに流された教会の礼拝メッセージは、はっきりと再建主義の考えに基づいていた。

http://www.frequency.com/video/x/97055663

このビデオに写っている札幌の景色は、葬儀の際に会場(長老をしていた教会の建物)から写したものである。

大雪山の山並が太陽の光で輝き、あたかも天国を見ているかのような神々しい風景であった。

私は、直観的に父親が本当に天に帰ったと理解した。

そして、非常な喜びの中にいて、幸せでいるのがわかった。

クリスチャンは死なない。

イエスが身代わりに死んでくださったので、死ぬ必要がない。

プレ・ミレでは、再臨は未来にあり、その際に体が復活すると教えるが、ポスト・ミレでは、紀元70年に再臨があり、すでに昇天したクリスチャンには復活体が与えられている(マタイ27・52-53、1コリント15・52、1テサロニケ4・16)と教えるので、私は、父親には御霊のからだが与えられていると信じている。

だから、父親とはしばらくの間、離れて暮らしているという感覚しかない。

後でまた会えると思っている。

それまでの間は、地上で自分の任務を果たさねばならない。

 

 

2015年6月3日



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