お金を使わないことは罪である



彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。
五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。
同様に、二タラント預かった者も、さらに二タラントもうけた。
ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。
さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算をした。
すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』
その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。さらに二タラントもうけました。』
その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。
私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。』
ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。
だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。
だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』
だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。
役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。(マタイ25・15-30)



「休眠預金」を公的事業に 与党が議員立法へ

 金融機関で10年以上も取引のない「休眠預金」を公的な使い道に回す議論が再び広がってきた。自民、公明両党が今通常国会への議員立法の提出を検討し、銀行界は容認姿勢に転じた。預金保険機構の活用案も浮上している。ただ、集めたお金を何に使うのかという肝心の点が詰まっていないため曲折も予想される。
http://mxt.nikkei.com/?4_20011_1042426_1

これは素晴らしい。

デフレで、企業が後ろ向きになっている。投資しない。だから、新しい事業が起きず、お金が使われない。

お金が使われないから、物が売れず、市場が冷える。

眠っている預金をむりやり流すこの法案はよい。

お金は水と同じで、流さないと腐る。

淀んだ水路のよに藻がいっぱいはえて、濁り、臭くなる。

血も滞留すると病気になり、死につながる。

神が人間に資産を与えるのは、「使う」ためである。

人間は、社会のすみずみにお金を行きわたらせなければならない。

なぜならば、社会は有機体であり、人体と同じだから。

近所の商店が次々と閉めている。

その反面、銀行に金が集まり、貯蓄は増えている。

なぜこうなったかというと、一つに企業が社会的使命を忘れたからだ。

「デフレ環境でも社会貢献のために新しい事業に打って出て、設備投資する」というマインドを忘れてしまった。

また、日銀がお金の総量を増やすことを拒否した。

バブル崩壊でお金が消えたのに補充しなかった。

労働とは、お金を回すことである。依頼主から労働者へ。労働者から商店へ、商店から生産者へ。

これだけではお金の総量は変わらない。交換、交換の連続である。

お金が足りなくなったら補充するのは、日銀である。

(中央銀行制度の独占発行紙幣ではなく、貴金属など商品貨幣であれば、このような欠乏はない。商品貨幣はそれ自体で価値があり、市場によって流通量が決まるから。無から有を独占的に作る権利のある中央銀行と民間銀行の信用創造がこのような経済的貧血を起こしている)

日本のGDPの成長鈍化が始まったのが、日銀の人事権の政府不介入が決まった1998年日銀法からである。

問題は、中央銀行による意図的な貧血化があったと思う。

また、マスコミの「消費マインドの破壊」も原因である。

「人口が減少するこれから、日本経済はダメになる」と吹き込めば、当然、消費は鈍る。

財務省も問題だ。

「借金が1000兆円ある。増税しかない」と。

増税は消費マインドを破壊する。

デフレ環境で、借金があれば、お札を刷ればいいだけの話である。

デフレが終了するまでお札を刷って市場に流すべき。

流しても銀行が政府国債を買えば、市場には流れないので、銀行に強制的に流すシステムを作るべき。

国民に直接お金を配るのも手だが、配っても将来を案じて銀行に貯金したら、貯金は銀行にとって借金であり、謝金が増えると破綻するので、国債を買うことになり元の木阿弥。

これを見てもお分かりのように、結局神の「お金を使え」との命令を無視した結果である。

しもべにタラントをゆだねて「これで商売しなさい」と言って旅に出た主人のように、神はわれわれにお金を与えて、投資することを求めておられる。

われわれは、ため込むのではなく、使って、自分の事業を拡大しなければならない。

今年よりも来年、自分の世代よりも次の世代、・・・

未来において自分に与えられたものを増やすことが義務付けられている。

つまり、地を従えよなのだ。

地を従えよとの命令を実行に移すという大きな使命を忘れると、デフレが起きたら底なしのデフレスパイラルに落ちる。

「再臨まで何をしても無駄だ」というような、「現状維持」は、「暗闇に放り込まれる」刑罰に値する。

 

 

2014年1月21日



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