日本人が日本という国の本質について理解する時代が来た3


日本がカバラの国であると昔から考えてきた。

七五三は、カバラの三方陣を表す。

http://www.millnm.net/qanda3/55gC1765c3C659665.htm

門松は、3つの節を持つ真中が高い3つの柱が一つに束ねられており、生命の樹の構造になっている。

それが2つで1組になっているのは、旧約聖書の神と新約聖書の神が同一神であることを示唆している(飛鳥昭雄『失われたカッバーラ「陰陽道」の謎』(学研)、227ページ)。

真言宗の阿闍梨小林氏が「密教はカバラと似ている」といった。

そして、恵果が「聖徳太子が密教を残した」といった。

以上から、私の考えが裏付けられたと考える。

朝鮮の伝説で、日本を建国した夫余の王解夫婁(ヘブル)を送り出した阿蘭弗(アラブ)という宰相は、東の海に「迦葉原」という五穀がよく実る土地があるからそこに行ったらどうかと勧めたとある。

http://www.millnm.net/qanda3/59SAOtFBA66688379.htm

迦葉原を日本読みすると、カバラである。

ヘブルという王が、カバラの土地で王国を築いた、これが日本。

夫余族は、百済を作った。

私の先祖は百済の止美というところにいた部族登美氏である。

藤原鎌足は、百済の王子余豊璋。

騎馬民族である夫余族は、スキタイ人と混血し、同じような文化を持っていた。

スキタイ人はアッシリアを滅ぼして捕囚のユダヤ人を解放した。

イスラエルの血が夫余族を通じて、天皇家をはじめ日本の主導的な氏族のうちに入った。

こういったことから見ても、日本がまさに聖書の文化を持った国であり、そのエッセンスを学んだカバリストが主導した国であると理解できる。

日本の別名である扶桑は、桑を扶(たす)ける国。

桑の旧字形において、又は十である。

十はヘブル文字で「タウ」。

タウは、契約の民のしるしとして額に記されたとエゼキエル書にある。

漢字において、3つ同じものが記されている場合それは「多数」を意味する。

だから、十が3つで「契約の民が多数いる」ことを象徴する。

桑は、「多数の契約の民の木」。

それを助ける国、つまり、契約の民の国。

日本の本質とは、契約の民の国であり、聖書の本質を理解したカバリストの国ではないだろうか。

 

 

2015年1月3日



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