世界の悪魔化の潮流を逆流させるべきだ
(1)
ヒューマニズムの認識論は、様々な矛盾を含んでいる。
ヒューマニズムにおいて、認識の基礎は「理性」である。
人間理性が出発点である。
「われ思う故にわれあり」とデカルトが述べた。
すべてを疑っても、その疑っている自分は存在する。だから、この疑っている自分の存在は疑いようがない事実なのだから、そこを出発点にしようと。
自分が出発点となり、自分が触っている机は存在する。食べるパンも存在する。自分が見る山も存在する。…
このようにして認識の範囲を拡大する。
しかし、これに対しては、致命的な攻撃があった。
物体の存在は認識できるかもしれないが、その意味はどうやって認識するのか。
科学的に実証できないものはすべて認識能力外とみなされ、不可知と断定せざるを得なくなった。
だから、ヒューマニズム認識論に立つと、道徳、宗教、意味について何も言えなくなる。
それだと世界観を作ることができないので、インマヌエル・カントは、開き直った。
「不可知な領域については、人間が決めていいことにしよう」と。
「神は、人間が存在を規定してあげるべきだ」と。
ここに、認識論におけるコペルニクス的大転換が行われた。
それゆえ、カント以降、人類は、道徳、宗教、神存在、意味、…について、勝手に定義するようになった。
この「人間が規定し、定義し、証明してあげる神」こそが、リベラル神学の土台である。
聖書が最高権威ではなく、人間の理性がそれになった。
キリスト教は、ここにおいて決定的に変質した。
ヒューマニズムの洗礼を受けたキリスト教では、聖書の記述は単なる「資料」「参考文献」でしかない。
だから、リベラル派においては、キリスト教は単なる宗教の一つでしかない。
人々は、自分でハサミを持って聖書を切り貼りできるようになった。
不適切と思える箇所、都合の悪い部分は切り捨てた。
処女降誕、奇跡、預言などは、「寓話」として切り捨てられた。
このキリスト教のリベラル化は、すべて認識論の基礎を人間理性に置いたところに原因がある。
だから、われわれは、人間理性を究極の権威としてはならない。
そういう思想を持つ人間を教会に受け入れてはならない。
われわれ聖書信仰の人々は、認識論の基礎を、神の自己認識に置かねばならない。
創造以前に神しかおられなかった時代にあった知識は、神の自己知識である。
神は完全にご自身を知っておられる。
神ご自身のうちに隠れた部分は一つもない。
神のこの徹底的な知識及びその能力こそが、われわれの認識論の基礎である。
だから、神が啓示された聖書こそ、われわれの認識論の基礎とすべきだ。
人間理性を聖書に従属させるべきだ。
聖書が「〇〇は悪だ」と言えば、われわれも「〇〇は悪だ」と言わねばならない。
(2)
ヒューマニズムでは、世界の秩序を維持できない。
なぜならば、創造されたのではない世界、偶然にできた世界において、計画や道徳や法は正当化できない。
「社会的弱者を守ろう」というスローガンも、「社会的弱者は偶然にできた世界の中で淘汰されるべき対象だから、守る必要はない」と否定される。
「殺人は悪だ」とたとえ法律で決められたとしても、弱肉強食の世界観を持っている人から見れば、殺人は世界を進化させる手段となる。
ヒューマニズムにおいて、普遍的法、普遍的道徳はない。
場所や時代によって道徳や法は変化する。
だから、ある時代において極悪人とされた人は、単に「生まれてきた時代や場所が悪かった」というだけのことになる。
ヒトラーやスターリンを責めることはできなくなる。
社会は、相対主義に陥り、秩序を維持することができなくなる。
どこまで堕落するかわからない。
これは、神を捨てた中国を見れば一目瞭然だろう。
共産主義によって、中国は修羅の世界と化した。
宗教も道徳もなにもない。ただ、利益を求めて自己増殖する癌細胞になった国。
まさに、インマヌエル・カントの思想革命の犠牲者である。
ヒューマニズムは、神を世界の王から廃位させる異端であって、最悪の邪教である。
われわれを取り巻く世界は、この邪教によって支配されている。
アメリカでもヒューマニストによるキリスト教への攻撃が激しい。
政府のあらゆる機関からキリスト教色が排除されつつある。
かつては祈りから始まった公立学校の授業も、今やヒューマニストによって攻撃され、祈りは禁止、壁にかけられた十戒も撤去。
公立学校を通じて、大量の悪魔の子供たちが卒業している。
音楽では、ヘビメタなどによって悪霊を心に入れた人々が社会に増えている。
世界は急速に悪魔化している。
(3)
われわれは、この潮流を逆流させなければならない。
そのためには、聖書信仰を確立する必要がある。
認識論という問題の根源をきちんと把握しなければならない。
聖書信仰に基づいて世界を再編しなければならない。
キリスト教が再び世界を支配する思想となるように、われわれは立ち上がり、戦うべきだ。
2014年4月30日
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