優先順位を確立しなければならない
1.
同労者のK氏は、前立腺の手術を予定していたが、祈ったところ手術の必要がなくなったと医者に告げられたとのこと。
私もMRIの画像に石が写っていないと医者がいっていた。(ただし、エコーには写っていると。しかしそれを見せてくれなかった。)
常々お伝えしてきたことだが、9のつく年齢のときに、私には転機があった。
9歳でバプテスマ、19歳で信仰の回復、29歳でラッシュドゥーニーの著書との出会い、39歳でミレニアムの活動スタート、49歳でミレニアムの伝道活動の本格化、そして、昨年59歳で大きな転機がやってきた。
いよいよカナンの土地の征服である。
「われわれはヨシュアとカレブになりますので、ゴーサインを出してください。ヨルダン川の水をせき止める奇跡を行ってください」と祈った。
今年になって、いろいろと奇跡が起きている。
世界政府論者のカナン人たちを世界から追い出すための活動が大きく飛躍しそうである。
祝福はわれわれ再建主義のクリスチャンを通じて世界に届けられなければならない。
われわれがしっかりとした世界観を養い、世界をどのように治めるべきかきちんと教育されなければならない。
そのために、再建主義の著作の翻訳は欠かせない。
歴史的にほとんどのクリスチャンが使用してきたビザンチン写本に基づく聖書の翻訳も必要である。
子供には、幼児期から聖書に基づく教育を施し、世俗の世界観の混入しない純粋な教えが必要である。
世界的に見ても大きな進展があった。
近年ピーター・ワグナーが再建主義の活動に加わった。(惜しむらくは、亡くなられたが。)
2.
なぜ超教派の教会に開かれている改革主義の神学校は、カルヴァン主義、ヴァン・ティル主義を貫かないのか。
お金である。
学校を運営する資金を集めるためには、教理にこだわっていてはやっていけないのである。
私ならば「それなら、やめたらいい」と思う。
教理的に妥協するなら、学校なんていらない。
神がなぜ聖書の写本を純粋に守られたのか。
なぜ一言一句正確に伝えるよう預言者に命令されたのか。
神が言われてもいないことを勝手に言った預言者はなぜ死に値したのか。
神の御言葉にそれだけ永遠の価値があるからだ。
教理が重要なのはこれが理由だ。
神の御言葉が絶対であり、われわれ人類にとってもっとも重要なものであるならば、教理的な妥協は絶対にやってはならないことだ。
人間には、聖書から純粋な教理を導きだす責任がある。
人間の好みを意識した教理など絶対に作ってはならない。
だから、アルミニウス主義やローマ・カトリック、リベラル、バルト、N・T・ライト、ディスペンセーショナリズム、フェデラル・ヴィジョンなど、絶対に許されないのである。
教理的に妥協する学校になど意味がない。
3.
信仰の異なる人に頼る団体の運命は、段階的な影響力の喪失である。
鍵は経済である。
お金を神から直接にもらえばいいのである。そうすれば教理的に妥協しなくてすむ。
もちろん空から降ってくるわけではないので、なんらかの人間の手を経由せざるをえないのだが、相手に依存しないでなおかつ相手からお金をもらえるシステムを作るべきである。
原理は「まず教理。その次にお金」。
だから、まず神に祈り、必死になって「あなたの御言葉の真理を保つために活動しなければなりませんが、お金がありません。妥協するくらいなら学校を開くつもりはありません。どうか直接お金を与えてください。人に頼ると、その人に影響されます。」と訴えかけるべきだ。
そうすれば、不思議な方法で神がお金を与えてくださるだろう。
教理的に妥協したら、Ph.Dとかどうでもいいのである。
どこで博士号をとったとか。どうでもいい。
われわれは、優先順位を確立しなければならない。
2017年12月8日
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