アルミニウス主義とイエズス会2


カトリック教徒と予定

アルミニウス自身は、予定の教義がプロテスタントとカトリックの間の隔たりを大きくしていることを承知していた。


「(彼曰く)教皇やアナバプテスト、(新)ルーテル派の人々がより強く反対する教義や、彼らが改革派教会に不信をさらに募らせ、改革主義の体系そのものの評判をさらに悪化させる手段となっている教義には意味がない。というのも、彼ら(すなわち、教皇主義者など)は、予定の教義の内容ほど、神に対するひどい冒涜は、思いにおいても表現においてもありえないと断言しているからである。」7

その理由から、彼は、カトリックやアナバプティストなどと仲良くなるために、改革主義者のグループに対して、信条から予定を排除するように勧めている。
アルミニウス主義者の著者たちは、平然と、互いの議論を共通の財産として掌握し、売りに出す。かくして、サムエル・ホールドは、私が今引用した、ヴァン・ハミンの所見を丸写しした。

「(サミュエル曰く)予定は、われわれの教会と宗教に向かって汚れた口を開くカトリック教徒にとって忌まわしい見解である。」8

したがって、われわれが一般恩恵と自由意志という反対の教理を採用するならば、われわれはカトリック教徒たちに大いに近づくことになり、それによって、彼らの口を封じることができるようになるだろう。そして、彼らはわれわれを正統的で愛すべき兄弟と見なすようになるだろう。それゆえ、次のように言うことができる。すなわち、アルミニウス主義はローマからやってきて、「そこに回帰する」と。

 

 

2018年5月9日



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