日韓併合は収奪を目的とする欧米型植民地支配ではない


1.


”併合後の植民地朝鮮には本土と異なる法律が施行され、例えば義務教育や国政選挙権が無かった。そして当時の日本人は朝鮮を植民地と呼んでいた。また例えばあのパール判事はイギリスが作ったカルカッタ大学の卒業で、つまり教育を与えたのは日本だけではない。”
https://twitter.com/ekesete1/status/898244334805331969

昭和20年に朝鮮・台湾在住民に国政参政権の付与が決まったので、参政権がなかったとは必ずしも言えない。昭和21年度からは日本内地と同様の八年制義務教育制度(国民学校初等科及び高等科)を導入することが予定されていたので、義務教育制度をするつもりがなかったとも必ずしも言えない。(Wikipedia―日本統治時代の朝鮮)

http://ironna.jp/article/1308

2.

「植民地」とは、「ある国(本土)からの移住者によって、新たに経済的に開発された土地。特に、新領土となって本国に従属する地域」であるが、日韓併合におけるこの「経済的開発」の目的は、搾取ではなく、近代化のためであった。

朝鮮半島を近代化し、しっかりとした国にすることにより、ロシアの防波堤としての役割を担わせる目的があった。そのため、朝鮮から得られるものよりも、日本側からの持ち出しのほうが多かった。

3.

併合は、建前上、対等であった。陸軍士官学校での私の父親の体験によると、朝鮮人の士官候補生は日本人と同等の扱いを受けていた。

しかし、施政における両国の関係は、実際は対等とは言いがたく、日本側による主導で行われ、両者同等の立場での共同的施政が行われたわけではない。しかし、これは仕方がないことである。

日韓併合直前の朝鮮情勢を、アメリカ人学者が書き記した第一級資料「1907 IN KOREA WITH MARQUIS ITO(伊藤侯爵と共に朝鮮にて)」によると、

当時の朝鮮は「腐敗し陰謀がうずまく李氏朝鮮王朝の政治、労働を忌み嫌い利権に安住しようとする支配階級、貧しく搾取されるだけの民衆、女性はといえば、奴隷同然であった」という状況だったからだ。

いくら対等という名目で企業合併が行われても、力の強い側が主導権を取ることになるのは避けられない。

 

 

2017年8月18日



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