日本の本質は裏イスラエルつまりクリスチャンである


(1)
イスラエルの出エジプトは、北東に向かった。エジプトからイスラエルまで、北東方向に向かって進んだ。

しかし、日本の出エジプトは、南西に向かった。籠神社から伊勢神宮まで。

これは、日本が裏イスラエルであることを暗示している。

表と裏、陰と陽。

イスラエルの場合、六芒星は公になっている。

大々的に国旗に、建物の表面に記されている。

日本の場合、六芒星は籠神社の奥宮真名井神社に、そして、伊雑宮の裏紋として、いわば隠れた印として記されている。

明治天皇の孫小林隆俊牧師によると、六芒星は、内宮の奥にもあるという。(また、内宮には「我は有りて在る者なり」との御名が書かれた板があるとも。)

世界の人々は、イスラエルの歴史について聖書から学んでいる。

しかし、日本に六芒星があることは知らない。

世の人は、表だけを見ているが、誰も知らない裏がある。

もし昔から日本に聖書があり、イスラエルのようにトーラーが学ばれていれば、世界の人々はすぐに気づくだろう。日本がイスラエルの失われた部族であることを、そして、キリスト教国でもあることを。

しかし、神は、日本から聖書を隠された。

その代わりに、籠神社から伊雑宮まで、六芒星と六芒星をつなぐ一本のラインにおいてそれを伝えられた。

真名井神社→籠神社→外宮→内宮→天岩戸→伊雑宮

これは、六芒星で結ばれたライン。

出エジプトから復活までの聖書の物語が暗示されたライン。

(2)
イスラエルは、「紅い海」を渡り契約の民となった。血による贖いを象徴。

日本では、天橋立がこれを表す。そして、籠神社では、茅の輪くぐりが行われる。茅の輪は、「血の輪」。
http://blogs.yahoo.co.jp/maritesuhime/36572657.html

鳥居とは本来、茅の輪なのだ。紅海を渡るのと同じ意味がある。

ちなみに相撲で締める回しは、この茅の輪である。(蘇民将来は速須佐雄能神(スサノオ)と正体を名乗る神から、茅の輪を付けていれば疫病を避けることができると告げられる。Wikipedia―蘇民将来)

だから、相撲取りは、血によって贖われた民、契約の民を表す。

(3)
皇太子が天皇になる場合、大嘗祭において、麁服(あらたえ)を着るが、これは、死装束だという。
http://akio-aska.com/column/roman/kako/sinrei_02.html

これを着て御衾に臥すということは、すなわち、天照大神の死と復活をなぞること。

その前の儀式で、湯帷子を着て水に入り、それを脱いで新しい湯帷子に着替えてから水から出てくる。

これは、明らかに洗礼である。

イスラエルが紅海を渡ったのと同じように、キリストも洗礼を受けられ、そして、天皇も洗礼を受けられる。

イエス・キリストが世界の統治者として立つためには、一度死んで復活しなければならなかったのと同じように、日本を統治するために、天皇は、死装束を着て一度死んで、復活する必要がある。

だから、この御衾に臥す儀式は、統治者としての献身式なのだ。(*)

(4)
伊勢神宮とは、「イエス神宮」である。

天皇は、伊勢神宮の神天照大神から権威を与えられた代理統治者である。

大嘗祭において、天皇は、天照大神(=イエス)がたどった真名井神社から伊雑宮(=出エジプトから復活)までの過程を繰り返す。

日本の本質は、裏イスラエル、つまり、真のイスラエル、つまり、クリスチャンである。


(*)
もちろん統治者といっても、普通のノンクリスチャンの立憲君主としてではない。

キリストの権威を帯びたクリスチャンとしての統治者である。

だから、天皇の主要な務めは、祈りと儀式なのだ。

 

 

2012年11月9日



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