1.
今、ハロウィンの時期で、霊的にかなり攻撃があったと思う。
ハロウィーンの起源 // ドルイド教の残酷な生贄儀式
https://www.youtube.com/watch?v=kWwAPIcAXxY&spfreload=10
これは、有益なビデオだが、ただ「今は暗黒時代なのです」とナレーターが述べていた。
イエス・キリストが十字架につかれるときに「私はすべての人を引き寄せる」と言われ、公生涯において「天においても、地においても一切の権威が与えられた」と宣言された。
それゆえ、今の世界は「イエス・キリストの世界」であり、悪魔はすでにパワーを奪われている。
われわれが祈れば悪魔を追い出すことができる。ハロウィンが日本に定着しないように祈ろう。
2.
人間は、着る衣服に影響される。
なぜならば、衣服は「罪を覆う犠牲者」を象徴するものとして神がみなしておられるから。
エデンの園において、神は動物を犠牲にし、その皮で衣服を作り、アダムとエバに着せられた。
この記事を「原福音」といい、イエス・キリストによる贖いの啓示である。
人間は、堕落前において、罪がなかったので、裸の状態は正常であった。
しかし、堕落後、罪責を背負ったため、裸の状態は異常になった。
神は、「ありのまま」では人間を受け入れられなくなった。
人間を受け入れるには、罪責を取り除くための犠牲が必要になった。
神は、イエス・キリストを犠牲とし、その上に人間のすべての罪責を負わせて処刑し、罪を帳消しにされた。
人間は、イエス・キリストの犠牲を信じることによってその犠牲を自分に適用できる。
それゆえ、イエス・キリストを救い主として信じる者には罪責は存在しない。
エデンの園における動物の毛皮は、イエス・キリストの犠牲を象徴するものであり、それゆえ「衣服を着る」という動作には「犠牲を適用する」という意味が追加された。
それゆえ、人間は神の御前で「衣服を含めて一人」と見られる。
人間は衣服と一体になるので、何を着るかは重要なのである。
クリスチャンがハロウィンに参加して悪魔的な衣服を着ると、その衣服と合体し、悪魔化したことになるので、悪魔は喜ぶ。
もちろん、衣服は被造物であるから、着衣の行為そのものを恐れると偶像礼拝になる。
たとえば、演劇の役回りにおいてクリスチャンは死神の衣装を着用せざるを得ない場合、それは罪になるかというとそうではないと思う。
衣服そのものに意味があるわけではないので、「あらゆる場合において衣服は着る人と一体化する」と言おうとしていない。
パウロは割礼に意味はないといったが、割礼の跡を消してはならないとも言った。
割礼そのものに意味をもたせるのは、物神化の罪である。