六日創造説を否定する教師は偽預言者である2


聖書を「神聖不可侵」としない教師は、大きな異端を持ち込む恐れがあるので要注意である。

なぜならば、「神の言葉の受け入れられる部分と受け入れられない部分を選別する権威は私にある」と考えているので、自分の主観に基づいて「聖書で禁止されている事柄」も受け入れる恐れがあるからである。

実際、(聖書を無誤無謬の神の言葉と受け入れない)リベラルの神学者には、同性愛賛同者が多い。

たとえ福音派に属していても、「御言葉を選別する権威が自分にある」と考えている教師は、彼らと同じことをするだろう。

なぜならば、認識論に関する立場がリベラルと同じだから。

そのため、六日創造説を否定する福音派は、同性愛を許容することになるだろう。

その兆候が表れ始めている。

ある有名な福音派の神学校で、「同性愛に理解を示そう」との提言が行われた。

このような傾向は、欧米ではかなり前から現れている。

聖書信仰とは、ダムのようなものである。

一点の妥協は、壁に開いた小さな穴である。

放置すれば、そこから漏れた水はどんどんと穴を拡大し、そして、ついに決壊が起きる。

聖書信仰とは、キリスト教の最後の砦であり、一点の妥協も許されない。

聖書啓示を神の絶対の御言葉であるとの立場を少しでも崩すならば、キリスト教は崩壊する。

六日創造説を否定する教団や教会は、キリスト教の破壊者であり、異端である。

そういう仲間に属しているならば、自分も神の裁きに巻き込まれる。

一日でも早くそのような集団から抜けだして、「私は彼らの罪に加担しない」と言いながら手を切るべきである。

 

 

2015年12月25日



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