イルミナティが日本人を「神の民」と呼ぶ理由3


アメリカがキリスト教の本場だと思っている日本人が多いが、キリスト教の本場は日本である。

どのような民族が、何千年も旧約聖書の律法を生活の中で習慣として実践しているだろうか。

アメリカ人が感謝祭をしてもそれはたかだか200〜300年だ。

日本人は、旧約の儀式を紀元前から守っている。

たとえば、贖罪の儀式である。

日本には、折り紙やひな人形がある。


「ひな祭」の「ひな人形」も、もとは「ひとがた」であり、体をなでて身の穢れをそれに負わせ、海や川に流す風習であった。(前掲書79ページ)

これは、「レビ記」の「アザゼルのヤギ」によく似ている。

アザゼルのヤギとは、イスラエルの大祭司が神殿において行った儀式であった。

ヤギの頭に手を置いて祈り、そのヤギにイスラエルの人々の罪を移す。つぎに、ヤギを荒野に連れれていき、ヤギが地平線のかなたに消えていくのを見届けた。このヤギは一種の身代わりなのだ。
このとき、ヤギとともに民の罪も見えないところに運びこまれ、神ももはや私たちの罪をご覧にならないと感謝したのである。そういう儀式を毎年行った(「レビ記」第16章)。(同上)

現代のユダヤ人も同じような風習を持つという。

現代ユダヤ人はまた、「夕シュリック」といって、湖や海の前で小石に自分の罪を託し、遠くの水の中へ投げやって罪を遠ざける儀式を持っている。(同上)

これらに共通する思想は「自分の罪を他人に転嫁して、それを亡ぼす」である。

これは、キリストの犠牲を指し示している。

神道における「お祓い」とは、罪を祓うことを意味する。

http://www.millnm.net/qanda4/hysop.htm

キリスト教の精神を生活の中で実践しているのは、日本とユダヤである。

このもっともキリストに近いはずの2つの民族が今、その文化の本質を見失っている。

おそらく両者は、昔タガーマ州ハラン(高天原)で同じ一つの民族であった。

その父祖であるアブラハム、イサク、ヤコブは、周囲にいるカナン人との結婚を避けて、わざわざ生まれ故郷に帰り、嫁を選んだ。

父祖たちが血の純潔を重んじたにもかかわらず、イスラエル人はカナン人と結婚し、バビロンの宗教を取り入れ、堕落してしまった。

そして、ついに神の御子を十字架につけて滅んだ。

今日まで、イスラエル人は霊的な死人であり、キリストから遠く離れている。

イスラエル人は、自分たちがカナン人に騙されていることを自覚すべきである。

カナン人の教典タルムードを捨てるべきである。

シオニズムを捨てて、キリストに立ち返るべきである。

彼らが捨てられたのは、異邦人の救いのためであった。

では、尋ねましょう。彼らがつまずいたのは倒れるためなのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。それは、イスラエルにねたみを起こさせるためです。(ローマ11・11)

日本人も、神の霊的原理のゆえに、異邦人の救いのために遠ざけられたのであろう。それゆえ、「神の民」として、イスラエル人とともに回復すべきである。

8世紀以降失った信仰を取り戻すべきである。

 

 

2016年4月21日



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