堕落した悪魔崇拝者の資産はクリスチャンに移譲されるべきである



わたしはあなたがたの神、主である。わたしはあなたがたにカナンの地を与え、あなたがたの神となるためにあなたがたをエジプトの地から連れ出したのである。
もし、あなたのもとにいるあなたの兄弟が貧しくなり、あなたに身売りしても、彼を奴隷として仕えさせてはならない。
あなたのもとで住み込みの雇い人としておらせ、ヨベルの年まであなたのもとで仕えるようにしなさい。(レビ記25・38-40)

クリスチャンは、世界の支配者である。

そのため、クリスチャン同士は、互いに自由を奪ってはならない。

経済的に苦しくなって身売りしたクリスチャンがいたとしても、奴隷のようにこき使うことはできない。

住み込みの雇い人として生活を保障しなければならない。

そして、ヨベルの年が来たら無条件に解放しなければならない。

一からやり直すことができるようにチャンスを与えなければならない。

50年に1度やってくるヨベルの年がなければ、貧富の差が固定化し、クリスチャンの間で支配者・被支配者の関係ができる。

クリスチャンは全員が王であり、この世の支配者なので、一からやり直しができるように再スタートのチャンスが与えられるべきである。

割り当て地を買い戻す権利を奪ってはならない。

一時的に貧乏になったとしても、勤勉に働いて復活し、資産を得たら、その割り当て地を買い戻すことができるようにすべきだ。

このようにクリスチャンは、互いをこの世の王として尊重すべきだ。

われわれは、支配者層として共同し、互いに助け合わねばならない。

われわれの間で戦いがあれば、互いに食い合って、悪魔の勢力に隙を与えることになる。

世界を支配する権限は、クリスチャンにのみ与えられているのであって、悪魔崇拝者にまで与えられていない。

悪魔崇拝者にまでヨベルの年は適用されない。

今日のように、悪魔崇拝者が世界を支配すれば、全世界が不幸になる。

富と権力が彼らに集まり、ほとんどの人々は貧困に陥る。

そして、悪魔の意志が実現しやすくなり、自由のための法律が次々と廃止されていく。

今、われわれが見ている世界は、悪魔崇拝者に主権が渡った世界であり、失敗した世界である。

クリスチャンが聖書を無視したために、敵に王権を奪われ、逆転現象が起きている。

正しい教えが、異端とされ、正しい裁きが、間違いとされている。正しい人が貧困に陥り、悪人が裕福になっている。

本来誰に主権が与えられたのか。

イエス・キリストである。

そして、イエス・キリストはクリスチャンに地上の諸族を弟子化するように命令された。

弟子化とは「神の国化」と同義である。

つまり、世界を「神を王とする領域」に変えることである。

だから、クリスチャンは、この地上において権力と富を得る権利があるだけではなく、義務もある。

クリスチャンは、自らに富と権力が集まるように祈って活動しなければならない。

「カナンの地」という言葉について考えてほしい。

それは、もともとカナン人の土地だったので「カナンの地」という。

カナン人が悪魔崇拝をやり、あまりにも堕落して土地保有者の資格を失ったので、神がその肥沃な土地から追い出された。

そして、その肥沃な土地を所有する権利を「契約の民」に明け渡された。

つまり、「カナンの地」という言葉は、「堕落した悪魔崇拝者の資産は、クリスチャンに移譲されるべきである」ということを象徴している。

聖書は、「歴史は神の栄光に向けて不可逆的に動く」ということを教えている書物である。

神の民が権力と富を独占し、それを通じて神の栄光が表され、悪魔の民が弱く、貧しくなり、悪魔の栄光が消えていくことが理想である。

イエス・キリストは、十字架において、その法的な礎を置かれた。

十字架において、人々の罪を身代わりに負って、彼らを悪魔の手から取り戻され、ご自分の民とされた。

キリストを信じる人は、誰でも「人を奴隷に貶める負債」である罪の代価を支払ったので自由人であり、キリストとともに王である。

クリスチャンには、この世界の支配者になる権利と義務がある。

神はそのために、悪魔側の人々が富を稼ぐことを許される。

富と権力をそっくりそのまま神の御心にかなった義人に譲り渡すためである。

聖書の御言葉を悟る力がないと、支配者にはなれない。

以上のことを理解されるならば、どうか祈っていただきたい。

「悪魔崇拝者が今所有している富と権力を、神の栄光を表す世界を作ろうとする神の民に渡してください」と。

 

 

2016年3月15日



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