献身者の世界は世俗の世界とは質的にまったく違う2


「主ご自身が相続地」であるというのは、もう一つ意味がある。

それは、「主が生活の面倒を見てくださる」ということである。

生産手段を奪われた彼らは、のたれ死ぬ危険性がある。

しかし、彼らに相続地がまったくないというわけではない。

主ご自身が相続地なので、主が生産をしてくださり、その果実を与えてくださる。

これぐらい確実なことがあるだろうか。

神が生産手段となってくださるのだ。

牧師や伝道師、神学者は、神に忠実で、御言葉をまっすぐに伝える限りにおいて、必ず生活は保障される。

それでは、パウロのテント作りはどうなのか。

パウロは、自分の生活を支えるためにアルバイトでテントを作っていた。


その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。
ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、
自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。(使徒18・1-3)

神は、まだ神の群れが小さくて未熟な場合、献身者にアルバイトをさせられる。

しかし、そのアルバイトの中に働いてくださり、生活に必要な仕事を与えてくださるのだ。

もし自分の牧会している群れからの収入では足りない場合は、バイトするしかない。

その場合は、バイトを通じて神の満たしを体験すべきだ。

献身者として一番やってはいけないのは、「食うために教えを曲げる」ことである。

そういったことを強制する集団に属しているならば、そこから出るべきだ。

そしてバイトせよ。

教えを曲げるくらいなら献身しないほうがいい。

必ずバイトを通じて支えてくださる。

教えをまっすぐに説き続けるならば、次第にレムナントが集まり、健全な集団が形成される。

そこからの献金で生活せよ。

それまでは、欠乏をバイトで補うべきだ。

 

 

2013年5月9日



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