聖書的キリスト教は国家主義ではないがグローバリズムでもない
再建主義はラッシュドゥーニーが国家主義を批判したので、どちらかというと「多」のほうに偏っているように見えるが、そうではない。
ヴァン・ティルの前提主義の基本は「一と多の調和」である。その前提主義に立つラッシュドゥーニーが「多」に偏っていたはずはない。
全体に奉仕しない個はありえない。だからといって、個が全体のために一方的に犠牲になることもありえない。
個人の自由が、全体に害を与えるならば、その自由は調整されなければならない。全体の利益が個人の自由を不当に侵害するならば、その利益追求は抑制されなければならない。
哲学はこの「個と全体」「一と多」をいかに調和させるかを一つの課題としている。
聖書的キリスト教は、この調和の根拠を「三位一体の神」に置く。
神は3人いらっしゃるが、契約的に一人である。
会社が多数の社員から成り立つが、法人として一人として存在するのと同じである。
神において「一と多」「個と全体」は調和している。
したがって、神の似姿としての人間及び人間社会も、「一と多」「個と全体」は調和しなければならない。
それゆえ、人間のすべての営為は、この原則によって制御されるべきである。
2018年5月4日
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